長屋茶房・天真庵

「押上」にある築60年の長屋を改装して
「長屋茶房・天真庵」を建築。
一階がカフェ、2階がギャラリー。

結界

2009-04-04 06:08:35 | Weblog
煎茶では、床の間と結界があれば、そこは茶室とみなされる。
床の間は、日本人が昔から家の中に置いた「小さな美術館」。
季節の軸を飾り、四季折々の花を生け、その中で筍のものを
いただく。つつましい中にも、自然の恵みに感謝したり、
自然からいろいろいな美意識を頂戴しながら、生き暮らしてきた。
花を飾る花器に、無釉の信楽や備前を好んで使ったのは、「土」
をイメージしたのだと思う。

天真庵の玄関の引き戸を開けるのは、少し勇気がいる。
般若君がつくってくれた引き戸の取っ手に「天真庵」
と刻印された取っ手がついている。これを作って
くれたのが、角居君だ。この扉は、やっぱり結界ではないかと思う。
人は、はやくもおそくもなく、出会うべき筍に、出会うべく場所で
出会う。それを演出するのは、人知を超えた世界、つまりこの現象の
世界の向こうにある世界のしわざではなかろうか。
時々おこる「偶然のような必然」を、ここで垣間見るたびに、つくづく
思う。
昨日も角井君がカウンターで、蕎麦を手繰っていたときに、事故のような
「必然」がおきた。1日この話で盛り上がった。
彼がつくってくれた茶合(さごう 煎茶をはかるもの)は、アボリ人の
オアシスの伝説をモチーフにしたものだ。人が旅をする。旅の途中途中に
オアシスで一休みする。その旅の出会いが、物語を紡ぎ、人生という
短い悲喜こもごもな旅の彩りを醸し出してくれる。そんな「水の流れ」
を感じるような模様だ。

今日は、今回のグループ展のオープニングのような「ジャズライブ」
がある。とっくに満席なのだが、荒武君がピアノをひいてくれる。
彼は一周年の時に、初めて天真庵でやってくれた。そして国定雅子
さんのゴスペルも初登場。十間橋通りにゴスペルが流れる日。
8日のエンディングは、やまねさんたちのの「クラシックライブ」。
残念ながら、これも満席御礼。

17日(土)には、馬場和子さんのジャズピアノライブ。あとひとり、かふたり空席あり。
18日(日)には、もにじんさんたちのライブ。これもあとひとりかふたり空席あり。