長屋茶房・天真庵

「押上」にある築60年の長屋を改装して
「長屋茶房・天真庵」を建築。
一階がカフェ、2階がギャラリー。

柿食う客と桃の話

2013-11-13 08:25:35 | Weblog

陶芸家の渡辺愛子さんが夕方柿を土産に遊びにこられた。

岡山での個展も無事盛況に千秋楽を迎え、15日(金)から、炎色野(ひいろの)で

個展をやる。20日まで。その後が久保忠廣さん(26日から12月1日まで)

久保さんの新しい志野の茶碗を見ながら、桃山陶の話に四方山話を加え、談論風発。

音楽家や芸術家と話をしていると、日本の未来がまだ大丈夫ではなかろうか、と

かすかな希望が沸いてくる。異常気象やら原発やら地震やら・・不安なとこと上げたら

枚挙にいとまがないけど、「今」この瞬間瞬間を大事に生きていくことが、人生だから

しっかりとらまえていこうと思う。

今日と明日は、午前中が「卒啄珈琲塾」午後が「無茶しぃの会」だ。

今日も朝一番にお店にいく。近所のおばちゃんが「今日は休みじゃないの?」

とハイテンションな声で挨拶。100回くらいそのおばちゃんは、水木の朝の挨拶に

同じ「まくら」をつける。ぼくは辟易として「貧乏暇なし、休みなし」と返事する。

いつか映画でもつくるようなことがあったら、この界隈の毎日の些細で平凡で、その中

にいるとイヤになるけど、少し蚊帳の外におくとおもしろいシーンを、紹介したいものだ。

お茶の日は、何日も前から、いろいろな準備をする。お菓子、茶器、床の間の軸、花、

もちろん掃除。お茶には、硯水泉を使う。bunkanの夏樹くんが月曜日に静岡まで

いって汲んできていただく。ひとつひとつに、いろいろな人がかかわってくれているから、

居(今、ここにこうして、いっしょに居られる)という刹那がある。その瞬間こそ人生のすべて。

だから茶会にさそわれたら、どんなことがあっても断ってはいけない。最近は予約を

簡単にとりけす客が多いらしい。食もデジタル化され、人もデジタル化され、だ、まったく。

明日は新しい客人がこられる予定だ。その人の名前とゆかりのある「寅」

を飾る。黄檗山の「木庵」の書だ。隠元和尚の後を継いで、黄檗の禅の思想

がこれから寅の髪がなびくがごとく、日本にひろがっていきますように、という讃が

書かれたものだ。その時の木庵禅師の「おもい」が伝わってくる。

お茶を飲みながら、こころを静かに波打たない状態にすると、いろいろなことが見えてくる。

「掛け軸を見る」とかいうけど、ほんとうは、「掛け軸を書いた人の当時の生きざまから、こちらの生きざまが見られている」

ように思う。日本の「和」の文化は知れば知るほど奥深く、曼荼羅の宇宙みたいだ。感謝。

 


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