さっそく石臼の台をつくって、試運転。
台といっても、企画品など、どこにもない。
昔の家では、黄粉や蕎麦を挽くときは、ござなんかを
敷いてやった。珈琲の石臼は、径が小さいので、
東北の骨董やで見つけた朴の丸い折敷の真ん中に、
石臼の底に彫った3センチの四角の溝をいれる板を打ちつけ、
折敷の台には、檜の丸太をうちつける。そして、折敷の端っこに
3cm弱の丸い穴をあけ、そこからドリッパーに挽いたコーヒー豆を
落す、という使用にした。
さっそく近くのSPICE CAFEのお父さんの仕事場にお邪魔して、
上のようなものを作りたい、という話をした。ドアか何かを作っている
途中だったけど、この石臼作戦に興味を示してくれて、さっそく、いろいろな
使いなれた道具を駆使して、あっという間に、石臼の土台ができあがった。
最初に臼を挽いたのは、升たかさん。彼は陶芸の修行に韓国の有名な
陶芸家のところで修行をしたことがあり、臼などの使い方には慣れたものだ。
自分で挽いたほぼブラジルを、おいしそうに飲んでいた。
近所のお菓子やさんの主人に続き、滋賀からわざわざやってきてくれた人たち、
その友だちの台湾の人たちも、楽しそうに、石臼を挽いた。
昔はどこの家でも、石臼を挽く、というのは日常で、そちらかというと、子ども
には荷の重い作業だったけど、今は珍しいので、かえって新鮮でみんな楽しそうに
やっていた。これは、けっこうおもしろいかもしれない。
そのうち、テーブルごとに、石臼をおいて、そこで銘々が、豆をひいて、
コーヒーを自分でたてて飲む、なんていう、まさに本来の「セルフカフェ」
もおもしろいかもしれない。二階では、銘々が煎茶や玉露を入れて、
お茶を楽しむ・・・・そんな人たちが集まってくると、ほんとうに日本も
明るくなると思う。いや~、楽しくてウキウキするなあ!
きらきらたちばな商店街の入り口では、「わぶ庵」が完成しようとしている。
また楽しみが増えた。界隈が、少しづつにぎやかな春をむかえようとしている。
台といっても、企画品など、どこにもない。
昔の家では、黄粉や蕎麦を挽くときは、ござなんかを
敷いてやった。珈琲の石臼は、径が小さいので、
東北の骨董やで見つけた朴の丸い折敷の真ん中に、
石臼の底に彫った3センチの四角の溝をいれる板を打ちつけ、
折敷の台には、檜の丸太をうちつける。そして、折敷の端っこに
3cm弱の丸い穴をあけ、そこからドリッパーに挽いたコーヒー豆を
落す、という使用にした。
さっそく近くのSPICE CAFEのお父さんの仕事場にお邪魔して、
上のようなものを作りたい、という話をした。ドアか何かを作っている
途中だったけど、この石臼作戦に興味を示してくれて、さっそく、いろいろな
使いなれた道具を駆使して、あっという間に、石臼の土台ができあがった。
最初に臼を挽いたのは、升たかさん。彼は陶芸の修行に韓国の有名な
陶芸家のところで修行をしたことがあり、臼などの使い方には慣れたものだ。
自分で挽いたほぼブラジルを、おいしそうに飲んでいた。
近所のお菓子やさんの主人に続き、滋賀からわざわざやってきてくれた人たち、
その友だちの台湾の人たちも、楽しそうに、石臼を挽いた。
昔はどこの家でも、石臼を挽く、というのは日常で、そちらかというと、子ども
には荷の重い作業だったけど、今は珍しいので、かえって新鮮でみんな楽しそうに
やっていた。これは、けっこうおもしろいかもしれない。
そのうち、テーブルごとに、石臼をおいて、そこで銘々が、豆をひいて、
コーヒーを自分でたてて飲む、なんていう、まさに本来の「セルフカフェ」
もおもしろいかもしれない。二階では、銘々が煎茶や玉露を入れて、
お茶を楽しむ・・・・そんな人たちが集まってくると、ほんとうに日本も
明るくなると思う。いや~、楽しくてウキウキするなあ!
きらきらたちばな商店街の入り口では、「わぶ庵」が完成しようとしている。
また楽しみが増えた。界隈が、少しづつにぎやかな春をむかえようとしている。
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