昨日は、お仕覆の会と夕方は金継ぎの会だった。
ぼくのそばのお弟子さまが金継ぎに初挑戦。久保さんの
総織部の丸皿がかけているのに金継ぎをしてもらった。
織部は「ひょうげもん」だけに、金が似合う。というか土味のある陶器
にちょこっと金を入れると、欠点がかえって「けしき」になって美しい。
これも日本人ならではの美意識だと思う。ひゃっきんの器がかけても
金継ぎをすると、材料費のほうが高いし、もしもやっても「田舎芸者の厚化粧」
になるのでやめたほうがいい。
昨日から久保さんの陶展が炎色野で始まった。最初に久保さんに出会ったのは、
ギャラリーを始めた平成8年だったので、20年近くなる。あまりに作品がいいので、
無名で力のない「天真庵」のみで販売するには惜しい、ので、ITの仕事の合間、
といっても一日だけ、飛び込み営業をやった日がある。そのころ、銀座や青山には
陶器を扱う店が今よりいっぱいあった。方向音痴で、あまり営業が得意でないので、
単純な作戦をたてた。渋谷から東横線沿線にある、自分のために駅チカのギャラリー
をねらってみよう、と思った。田園調布と自由が丘にあるギャラリーが少し手ごたえが
あったけど、ほとんど「ふーん」という感じだった。渋谷に帰ってきて、作戦を変更して
広尾の有名なお店に電話して会いにいったけど、アカンかった。
あきらめて、その当時よくいっていた「はがくれ」という飲み屋にいこうと思って、トボトボ歩いて
いたら、その当時まだった「仁丹ビル」の裏の路地に古色蒼然とした古い民家があり、
のぞくと備前や信楽など、無釉の器が楽しそうに歌っていて、李朝家具の横に店主とおぼしき美人の女性
がたっていた。迷わずひょいと思い木の扉をあけ、主人に「こうこうこうで・・・」と、ここにたどり着いた縁を
話し、持っていた久保さんの備前の急須を見せたら、「あら、素敵」という話になり、それからその店と、その店
で出会う人たちと、不思議で無駄のない旅みたいことが始まるのだった。押上文庫の文庫ちゃんも音大の学生
だったころこのお店であった。渡辺愛子さんもこのお店で出会った。来月また炎色野で陶展をやる。ふたりとも、
その縁で押上に住んでいる。織田流煎茶道の家元ともこのお店であい、そのまま茶室に遊びにいき、その日から
煎茶道の修行が始まり、今は押上でお茶を無茶しぃの会で教えるような仕事をしている。
縁とは不思議なものだ。
今週はアビアイントという吾妻橋のギャラリーでも不思議な展覧会をやっていて、先日ハガキを頂戴した。
なすの絵が描いてある。生井厳さん。
天真庵にはじめて楽器をもちこんだ人だ。南條先生と友達で、先生の個展の時に尺八を演奏してくれた。
あまりに楽しい会になって、酒を飲みすぎて、最後はふたりで「ヨカチン」を歌いながら、あいた一升瓶を
チンコにみたて、ざぶとんを相手に、♪ヨカチン・・・と歌う。昔は芸大の人間が酔うと必ずうたったものだ。
少し狂気じみているけど、芸術とは「あたりまえ」のところからは産まれないものでもある。
今日は午前中の塾が終わったら、炎色野いって、帰りにアビアントにいき、生井さんがいたら浅草
でもいって「ヨカチン」を歌ってみたい、とたくらんでいる。
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