長屋茶房・天真庵

「押上」にある築60年の長屋を改装して
「長屋茶房・天真庵」を建築。
一階がカフェ、2階がギャラリー。

気にいらぬ 風もあろうに 柳かな

2009-09-19 06:12:04 | Weblog
仙崖和尚がそんなことを書いたものを、出光美術館で見たことがある。
柳が風にゆれている絵があり、最後に、堪忍と揮毫してある。

大地にしっかり根をはり(土台がしっかりしている)ので、いろいろなこと(風)
が吹いて、見かけは右往左往しているようでも、泰然としている、みたいな言葉
だ。土台をしっかりさせるまでは、堪忍。もしくは土台をしっかり
させる栄養素が堪忍。

ギャラリーを初めた時から、天真庵にいた元気は、きっといろいろな風に
吹かれて、つらいことも、悲しいことも、気にいらぬ風もあったろうに、
愚痴も不平もいわず、最後の日まで、仕事をし、最後のひとりまで、「いらっしゃいませ」と仕事をして、逝った。
おわりのほうは、帰る人にほえたけど、それはきっと、「さようなら」
をしていたのだと思う。

逝ってしまったひととは、こちらも天国にいかなくては、話ができない、
と思っていた。でも、いなくなても、ちゃんと話ができる、というのを、
痛感した。「不立文字」(ふりゅうもんじ)という言葉がある。
「言葉や文字で説明する必要がない。はらでわかれ、ということ。
元気の死は、そんなことも、はらで教えてくれる。

仙崖和尚のエピソードでこんなこともある。
とある檀家さんが、初孫ができた。そのとき、「何かおめでたいことを
書いてください」と和尚に頼むと、「よっしゃ」といって

親死ね 子死ね 孫死ね

と書いた。檀家さんは、「縁起でもない」とおこった。
すると、「では」といって

孫死ね 子死ね 親死ね

と書いた。それで檀家さんは「そうですね、順番どおりに死ぬのが、自然で
大切なことですね」と、悟ったという。

そんなことからいけば、ペットを飼うというのは、大抵の場合が、
先に子どもや孫を失うような、痛みがともなう。しかも、
彼らは、子どものまま純粋無垢のまま一生を真っ当するので、なおさらだ。

「元気」という名前をつけ、彼はそれを天命のように、死ぬまで
元気に、生きて生きていきぬいた。そんな素晴らしい家族にめぐり
あったのだから、いつまでも落ち込んでいたら、しかられそうだ。

今朝は、そんな会話を聴こえない声の中から、聞いた。







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