友達の書き込みで、京都時代を少し思い出した。
最初の厄年の時、骨肉腫と診断され、大徳寺の前にあった病院
に入院していた。右手が不自由だったけど、食べ物の制限もなく
暇なので、よく大仙院にいって尾関老師の話を聞いた。もっとも
30年以上前の話なので、彼も老師というか、元気な雲水のような人だった。
昨日は16回目のMUSICA LIBERA TOKYOだった。
「生と死のクラリネット」。正確には、「正のクラリネット、死のバセットホルン」
N響の伊藤圭さんがクラリネットを、隣で同じくN響の山根さんがバセットホルンを弾く、
ふたりが並んで演奏するとまるで阿吽だった。絶対と相対が相対しないように、それぞれが
独立した個でありながら、絶妙の呼吸で、音程の違う管楽器を奏で、桜や椿などがいっせい
に咲いたような華やかな雰囲気の藤田朗子さんが、ざやなかけん盤さばきで、正と死の
刹那な世界を表現する。
バセットホルンは、モーツァルトのレクレイムで使われた楽器だそうだ。
不思議な縁だけど、ピアノの横にいつも建築家・白井晟一さんの「生」を
飾ってある。白井さんが、静岡の登呂遺跡に隣接した芹沢美術館を建設した時、
完成して受け渡す時、3日間、モーツァルトのレクレイムをかけて、自分の匂い
を消した、という逸話を思い出した。
音楽も芸術も人間が生きたり死んだりするのも、生・滅・生・滅の刹那の呼吸
を繰り返しながら、川の流れのように、さらさらと流れていくようなものだ。
さて、明日は「シャンソン」
この週末は、時空を超えて、ヨーロッパを旅しているような気分。
最初の厄年の時、骨肉腫と診断され、大徳寺の前にあった病院
に入院していた。右手が不自由だったけど、食べ物の制限もなく
暇なので、よく大仙院にいって尾関老師の話を聞いた。もっとも
30年以上前の話なので、彼も老師というか、元気な雲水のような人だった。
昨日は16回目のMUSICA LIBERA TOKYOだった。
「生と死のクラリネット」。正確には、「正のクラリネット、死のバセットホルン」
N響の伊藤圭さんがクラリネットを、隣で同じくN響の山根さんがバセットホルンを弾く、
ふたりが並んで演奏するとまるで阿吽だった。絶対と相対が相対しないように、それぞれが
独立した個でありながら、絶妙の呼吸で、音程の違う管楽器を奏で、桜や椿などがいっせい
に咲いたような華やかな雰囲気の藤田朗子さんが、ざやなかけん盤さばきで、正と死の
刹那な世界を表現する。
バセットホルンは、モーツァルトのレクレイムで使われた楽器だそうだ。
不思議な縁だけど、ピアノの横にいつも建築家・白井晟一さんの「生」を
飾ってある。白井さんが、静岡の登呂遺跡に隣接した芹沢美術館を建設した時、
完成して受け渡す時、3日間、モーツァルトのレクレイムをかけて、自分の匂い
を消した、という逸話を思い出した。
音楽も芸術も人間が生きたり死んだりするのも、生・滅・生・滅の刹那の呼吸
を繰り返しながら、川の流れのように、さらさらと流れていくようなものだ。
さて、明日は「シャンソン」
この週末は、時空を超えて、ヨーロッパを旅しているような気分。
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