今日は佐賀のがばいじいちゃんがやってきて、「気骨の鮨会」をやる。
今年一月から始めた新しい企画だけど、カウンター8人限定で、鮨を喰う、
という単純にそれだけのことだけど、お茶と同じように、「美しいこころ」みたいな
ものにふれるいい会になった。ほんものはみな「簡素」。よけいなもんはいらない。
昨日の夜は「かっぽれ」。浴衣に着替える時からきゃっきゃという元気な女子たちの笑い声が絶えない。
三味線の音や、踊りのある街は元気な街である。なるべくそんな機会を多くもちたいもんだ。
11月22日(土曜日)に玉ちゃんの「お座敷遊び講座」を開催する。8人限定。
昨日は渋谷の炎色野に「久保忠廣作陶展」を見にいった。雨にもかかわらず、10年来
の常連さんたちの元気な顔を見たりできて、元気をもらった。
今回の志野の器はより上を目指す陶芸家の気骨を感じる力に満ちている。天真庵の器は「ほぼ100%」が
久保さんの器。今日の鮨会も、彼の志野の四方皿に葉蘭をのせ、そこににぎった鮨をのせる。
手でにぎったものをお皿にのせ、それを手でとって黄瀬戸の皿に入れた醤油につけて食べる。「てとて」にこころが通う。
「身の丈、心の丈」を感じながら過ごす時間ほど至福の時間はない。
土曜日は「長屋でじゃずそば」。すでに満席だけど、より多くの人に聴かせたいじゃず。
お祭りも鮨会も茶会やお座敷も、じゃずもみんな生「ライブ」にいったものしか伝わらない「こころ」がある。
生きている、という手ごたえは、そんな中にこそあるのではなかろうかしらん。感謝。
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