ロンドンで作庭をやっている「ながさ木」君から賀状がきた。
向こうに渡って活動も軌道にのってきた、とのこと。
彼は世界のどこにいっても大丈夫だと思う。昨年は
世界的なカメラマン、マイケルフリーマンのロンドンの自宅の
庭をつくった。その庭の写真が紹介されていたけど、なかなかのものだ。
マイケルフリーマンが、一度天真庵の庭(池袋時代)を撮影にきたことがある。
夕方のやわらかい光を待つのに、時間があったので、抹茶をたてて、ゆくりと
待った。その時に使った久保さんの「引き出し黒の抹茶茶碗」が庭の縁側
に置いて撮影された。その写真に、「茶の魂」みたいなものが映っているようで
感動したことがある。彼の「待つ」という間が、ただものでなかったことを
思いだす。正月に「松竹梅」を飾る。
松というのは「待つ」ということだま。
20世紀が終わりを向かえ、これからの時代は、ある意味で、「待つ」
ということがとても大切なキーワードになるかもしれない。
「ただ待つ」だけでは、何もおこらいないけど。
向こうに渡って活動も軌道にのってきた、とのこと。
彼は世界のどこにいっても大丈夫だと思う。昨年は
世界的なカメラマン、マイケルフリーマンのロンドンの自宅の
庭をつくった。その庭の写真が紹介されていたけど、なかなかのものだ。
マイケルフリーマンが、一度天真庵の庭(池袋時代)を撮影にきたことがある。
夕方のやわらかい光を待つのに、時間があったので、抹茶をたてて、ゆくりと
待った。その時に使った久保さんの「引き出し黒の抹茶茶碗」が庭の縁側
に置いて撮影された。その写真に、「茶の魂」みたいなものが映っているようで
感動したことがある。彼の「待つ」という間が、ただものでなかったことを
思いだす。正月に「松竹梅」を飾る。
松というのは「待つ」ということだま。
20世紀が終わりを向かえ、これからの時代は、ある意味で、「待つ」
ということがとても大切なキーワードになるかもしれない。
「ただ待つ」だけでは、何もおこらいないけど。
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