なんとなく、毎日が、原始的なぶつぶつ交換でなりたっている。
山形に移り住んだ友達から、毎年さくらんぼが届く。長いつきあいなので手紙
など入っていない。さくらんぼの姿が、先方のつつがない生活を伝えてくれる。こちらも
そばを、ただおくる。そのお互いの計算のない「ただ」がいい。おなじ「ただ」でも、ただでものを
もらう、というのは、ただならぬむずかしさを含んでいる。人間は「欲」に手足がはえたもの、だとのたまった
近松門左衛門さんの言葉思い出す。
能登半島に移りすんだそばのお弟子さまから、今年は「梅」がいっぱい届いた。まず梅シロップを
つくり、近所の若いおかあさんたちにおすそわけした。今月女子を出産予定のくまもんさんが、おかえし
に熊本のミニトマトをもってきてくれた。被害のひどかった実家の近くの農家さんが、地震の後に植えた
トマトらしい。昨日のねんどの会に、「やたら」の上にのして出した。ねんどの会の「こねる」さんは今月末
でお店を閉店し、ご主人のふるさと仙台に移り住むことになった。ご主人さまは、ぼくのそばのお弟子さまでもある。
猿年とは、「去るとしまわり」なのか、今年は押上から地方に移り住む人が多い。
金曜日は、織田流煎茶道の先輩が、自宅の花をもってきてくれる。それを店の中においてある、掛け花、信楽や備前の壺やら、
床の間にある久保さんの花器なんかに投げ入れる、のがならわし。そこの家のお母様はお花の先生だったので、花の手入れから種類
から、圧倒されるものばかりで、知らない間に、こちらの花をいける力が、無手勝手流ながら、ついてきたように思う今日このごろ。
そんなことをしていたら、近くの骨董屋が、七夕用のささをもってきた。実家の市原からとってきたらしい。感謝。
夕方には、野菜が届いた。今日の夕方に「野菜ライブ風蕎麦会」がある。3度目。今朝も5時からそばをばんばん打って、
元気な野菜くんたちの下処理。包丁も昨日かんぺきに研いだし、後は、今日のインスピレーションで、いろいろな料理をつくってみたい。
明日は日曜日なので、16時に終わり、それから「創作そば&すし」の会。明日のベテラン組さんたちは、そばは師範代クラスにもう一歩
まできている。すしが自由ににぎれるようになると、人生が10倍楽しくなる。
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