昨日は鳩山内閣が誕生した。日本も新しい世界を
踏み出したことになる。
そんな記念すべき日に、元気が旅立った。
朝はいつものように、元気にご飯を食べ、散歩もウンチ
も普通にして、お店にいっても、元気に昼ごはんを食べ、
玄関のところで、まどろんでいた。
2時ころ、カウンターのお客さんとコーヒーを飲みながら、
談笑していたら、ゆっくりとカウンターの中に入ってきた。
いつもの「ごはんをくれ」という目力ではなく、
「おわかれ」をいいにきた感じだった。すぐに、お店を閉め、
タクシーで病院にいった。先生もスタッフの女性も、「元気がんばって」
と叱咤激励してくれた。静かに目をあけたまま、酸素ボンベのある部屋
で、大好きなママを待っているようだった。
最後は、家で家族で過ごそうときめ、家に帰って、ママの懐の中で、
しばらくまどろんで、天国に旅立った。いつものように、安らかな
寝顔だった。
30分くらいしたら、近くの団地の5時のチャイムが聞こえてきた。
こんな時間に家にいたことは、元気もぼくたちも初めてなので、
チャイムの「家路」を、寂しくきいた。この曲は、ドボルザークが
家族、確か息子をなくした時に、絶望の淵の中で、ニューヨークに
渡り、ジャズクラブなどに通いながら、作曲した悲しい曲、「新世界」の一節だ。
人の悲しみに、大小比べることなど無駄なことだけど、昨日は、
ドボルザークや、娘に先立たれた義理の両親の気持ちに近づいた。
25日の「19世紀ギター」と10月の「三丁目のジャズ」は、元気もきっと
楽しみにしていたので、天国から遊びにくるだろう。
近所の人たちが、花やお酒を持ってきてくれ、元気とささやかな
おわかれ会をした。升さんの蓮の書いた花器と、久保さんの焼締めの花器
に花を手向けた。ほんとうに、いろいろな人に縁を結んだ幸せな犬やと思う。
家路
♪遠き山に 日は落ちて 星は空を ちりばめる
きょうのわざを なし終えて 心軽く 安らえば
風は涼し この夕べ いざや 楽しき まどいせん まどいせん
やみに燃えし かがり火は 炎今は 沈まりて
眠れ安く いこえよと さそうごとく 消えゆけば
安き御手に 守られて いざや 楽しき 夢を見ん 夢を見ん
元気は、たくさんの人に愛され、元気をあげたり、もらったり
しながら12年半の一生をまっとうしたみたいです。
最後まで苦しむこともなく、静かに、休みの前日に、家路に
もどりました。
今日これから、火葬にいきます。
明日の夕方は、「タイムドメイン」の日です。
彼が最後に聴いていた手嶌葵さんの「The Rose」でも聴きながら
偲ぶ会をやろうと思っています。 天恩感謝
踏み出したことになる。
そんな記念すべき日に、元気が旅立った。
朝はいつものように、元気にご飯を食べ、散歩もウンチ
も普通にして、お店にいっても、元気に昼ごはんを食べ、
玄関のところで、まどろんでいた。
2時ころ、カウンターのお客さんとコーヒーを飲みながら、
談笑していたら、ゆっくりとカウンターの中に入ってきた。
いつもの「ごはんをくれ」という目力ではなく、
「おわかれ」をいいにきた感じだった。すぐに、お店を閉め、
タクシーで病院にいった。先生もスタッフの女性も、「元気がんばって」
と叱咤激励してくれた。静かに目をあけたまま、酸素ボンベのある部屋
で、大好きなママを待っているようだった。
最後は、家で家族で過ごそうときめ、家に帰って、ママの懐の中で、
しばらくまどろんで、天国に旅立った。いつものように、安らかな
寝顔だった。
30分くらいしたら、近くの団地の5時のチャイムが聞こえてきた。
こんな時間に家にいたことは、元気もぼくたちも初めてなので、
チャイムの「家路」を、寂しくきいた。この曲は、ドボルザークが
家族、確か息子をなくした時に、絶望の淵の中で、ニューヨークに
渡り、ジャズクラブなどに通いながら、作曲した悲しい曲、「新世界」の一節だ。
人の悲しみに、大小比べることなど無駄なことだけど、昨日は、
ドボルザークや、娘に先立たれた義理の両親の気持ちに近づいた。
25日の「19世紀ギター」と10月の「三丁目のジャズ」は、元気もきっと
楽しみにしていたので、天国から遊びにくるだろう。
近所の人たちが、花やお酒を持ってきてくれ、元気とささやかな
おわかれ会をした。升さんの蓮の書いた花器と、久保さんの焼締めの花器
に花を手向けた。ほんとうに、いろいろな人に縁を結んだ幸せな犬やと思う。
家路
♪遠き山に 日は落ちて 星は空を ちりばめる
きょうのわざを なし終えて 心軽く 安らえば
風は涼し この夕べ いざや 楽しき まどいせん まどいせん
やみに燃えし かがり火は 炎今は 沈まりて
眠れ安く いこえよと さそうごとく 消えゆけば
安き御手に 守られて いざや 楽しき 夢を見ん 夢を見ん
元気は、たくさんの人に愛され、元気をあげたり、もらったり
しながら12年半の一生をまっとうしたみたいです。
最後まで苦しむこともなく、静かに、休みの前日に、家路に
もどりました。
今日これから、火葬にいきます。
明日の夕方は、「タイムドメイン」の日です。
彼が最後に聴いていた手嶌葵さんの「The Rose」でも聴きながら
偲ぶ会をやろうと思っています。 天恩感謝
ストーブを使った。
これから日本酒がうまくなります。
また「おとうさんのかおり」を楽しみに
きてくだされ・感謝
ようやくコーヒーを飲んでると体すりすりしてくれる様になった今年の春。
色んな人や風景と出会ったなと思う一方で、
若くして糖尿病で無くなったお兄ちゃんのような存在の人や、
心をほっとさせてくれた元気君がいなくなるのは
とても寂しいもんです。
これから店の中の明かりがだんだんと橙色に感じる季節が
近づくにつれて彼らの存在を思い出し寂しくなるのだと
思うと自分は誰かの心にあるのかなと考えてしまいました。
今は高円寺に引っ越してしまったけれど、また行きますね。
この間連れて行った方もとても喜んでくれました。
いろいろありがとうございます。
ほんとうに、たくさんの人に愛された「元気」。
いい人生だった、と、つくづく思います。
お店のピアノが祭壇みたいになり、次々にお線香をあげてくれるので、コーヒーの香りに勝るくらい、お香の香りにつつまれています。
天に召される2時間前まで、小さな体をめいっぱいつかって「もてなし」に、徹して、生きて生きて生き抜いた姿に、ほんとうに元気と勇気を
教えてもらった思いです。 感謝。
治療を受けながらこのチャイムを聴くと治癒しなかったらどこへ帰ればいいのかといつも思っていました。
今週転移再発が確認された翌日に元気君の訃報が届きました。
心中お察しいたします。お力落としのないように。
ご冥福をお祈りいたします。
新しい治療計画が出され今は明日のことしか考えないようにしています。
今朝久しぶりにボブ・ディランの「マイ バック ペイジ」を聴きました。
詩の一節に「今の私はあの頃の私より若い」という部分があります。
元気君との生活には残念ながらピリオドが打たれました。
ライブでプレーヤーに気合いを入れる役がいなくなってしまいましたが天真庵は活きています。
これまでの天真庵よりもっと元気になって若々しい天真庵を演出してください。
元気君もそれを望んでいます。
合掌。
本当に元気で可愛らしかったですね。
天命を全うされたんでしょう。
悲しみが募るばかりかと存じますが、
お力を落とされぬように。。。
時間が経てば、元気君との思い出がお心の隙間を癒してくれると信じて。
合掌
池袋時代にお邪魔した時にはじめて会った。愛くるしさと賢さが「副店長」の振る舞いに出ていた。
先日のお茶席で、きちんと座ってお茶菓子を食べていたのが、何とも微笑ましい姿だった。天国に逝く前に、会えた事に感謝合掌
妻が元気君の事がちょうど頭に浮かんでいたんだ~と言っていました。
最近御無沙汰で元気に会っていなかったな~。
元気のお迎えがないのは寂しいね。
初めまして、キアラと申します。
9月17日だったのですね。
寄寓にも私は今年の2月17日に19年過ごした猫のベティを見送りました。
昨日は月命日でお墓参りをしてきたところです。
元気くん、安らかにお休みください。
私はまだまだペットロスが抜けないですけど、それでも時間をかけて立ち直っていくつもりです。
泣いてばかりでは、猫に心配をかけてしまいますものね。
合掌
元気くん、お休みなさい。
元気君ありがとう。
ありがとさんでした。
きっと元気に天真庵の天にいつもいらっしゃることでしょう。
ご冥福をお祈りします
本日、火葬場にて、小さな骨になって、
小さな家にもどってきました。感謝・元気
こんな小さな骨で、野山を走ったり、お客さん
が帰られる時に、玄関先まで走っていったりしていたことを、思うと、また涙がでてきます。
「長屋茶房 天真庵」の「元気のアルバム」の
中に、元気なときの元気をたくさんいれてもらいました。
天国に召された今でも、元気に元気をもらえます。たとへ、ほんとうは元気がなく、へこんでいても・・・
そんな人間になりたいと思います。
明日からまた新しい1日が始まります。
毎日毎日が、新しい挑戦の毎日です。感謝。
また、さきほど、ドボルザークの「家路」
が鳴りました。
月曜日は元気にみえたのに・・・
苦しまずに旅立ったのなら、よかったです。
看板息子として最後の最後までお店を見守ってくれたんですね。
私も元気君には心を和まされました。
元気君ありがとう!
ちょうど大変な時だったんですね。
先日のねんどの日は、風邪気味だったので、時期が時期だけに外出を控えました。元気君に会えなかったな・・・。
でも、元気君は野村夫妻と一緒でとても幸せだったと思います。お二人の愛情とおいしいお蕎麦で本当に満足して天国に行けたんです。
ありがとう、元気君。
突然の事にただただ茫然としております。
今までと同じように今日も明日も
続いていくんだという事がつくづく、
ただの幻想に過ぎないと思い知らされます。
看板息子としてこれまで沢山、
沢山の人達へ喜びを与えてくれた元気君。
どうか安らかに、今まで有難う。
そしてご夫妻も今は哀しいでしょうが
ゆっくり休んでくださいませ。
わかっていてもつらいものがありますね。
昨日は高校の友人から長女が旅立ったとの連絡。
もう大分以前から懸念されていたことではありました。
父親がしっかりとしているのに、
電話のこっち側の自分は
涙で通夜等のメモを取るのがやっとでした。
そのあと元気君「帰天」の電話。
新政権誕生のニュースは度々見ているものの、
昨日は「涙」の一人勝ちでしたね。
頭ばかり使っていた学生の頃、
辿り着いた一つの結論。
悲しみは突然に、哀しみはいつも傍らに
改めて実感します。