昨日は不思議な日だった。
中国人の観光客が6人(ひとりは通訳)で蕎麦を食べにきた。
「そばがおいしいと聞いたので、きました」と通訳の人が
いった。上海の雑誌社の取材はうけたけど、まさか?と思いながら
蕎麦をつくった。男性が写真を撮ろうとしたので、
「日本の普通のお店では、写真は撮ってはいけませんよ」とやわらかい日本語
でいったけど、怪訝な顔をしていた。今沸騰中の日中の険悪な関係も
こんな些細なことからおこるのかもしれない。
でも、つきつめて考えてみると、「人」と「人」の問題だ。
先日の「ダメ中」は中国語で中国茶を飲む、という勉強だった。
今では、日本人の生活の中でもお茶は「日常茶飯」になったけど、
もともとは、遣唐使が中国にいって、仏教といっしょにお土産に
もちこんだのが始まり。
昨日勉強した「論語」や「易学」なんかも、中国からきたものだ。
日常茶飯の中の茶も飯も、哲や思想、器や書や文房具など、あちらから
渡ってきたものをあげると枚挙にいとまがない。
明日は卒啄珈琲塾と無茶しぃの会。
珈琲を初めて飲んだのは、鎖国時代に唯一外国との交渉
ができた長崎は出島の芸者だったらしい。
どんな時代も、「時代を肌で感じる」のは女性と相場が
きまっているのかしらん。
混沌とした時代を煙にまくわけではないけど、あやうげな焙煎の煙
の中で、五里霧中で視界の狭まった時代を考えあっていこうと思う。
今週の土曜日と日曜日は、昨年に続き、「竹細工の展覧会」を二階で
やります。大分から竹職人さんがきて、竹の鞭をふりふりちーぱっぱ
で教わった生徒さんたちの作品が展示される。
土曜日は「お花の教室」の日でもあります。
明日が見えないような時は、何か自分がやりたいこと、やっておかねば
ならないことをするとよいと思う。
「何か毎日毎日没頭すること」が無心になる近道だと、昨日の順受の会(論語の会)
で教わった。最近は女子や若い男子も増え、ますます「時代」を感じる寺子屋の毎日。
中国人の観光客が6人(ひとりは通訳)で蕎麦を食べにきた。
「そばがおいしいと聞いたので、きました」と通訳の人が
いった。上海の雑誌社の取材はうけたけど、まさか?と思いながら
蕎麦をつくった。男性が写真を撮ろうとしたので、
「日本の普通のお店では、写真は撮ってはいけませんよ」とやわらかい日本語
でいったけど、怪訝な顔をしていた。今沸騰中の日中の険悪な関係も
こんな些細なことからおこるのかもしれない。
でも、つきつめて考えてみると、「人」と「人」の問題だ。
先日の「ダメ中」は中国語で中国茶を飲む、という勉強だった。
今では、日本人の生活の中でもお茶は「日常茶飯」になったけど、
もともとは、遣唐使が中国にいって、仏教といっしょにお土産に
もちこんだのが始まり。
昨日勉強した「論語」や「易学」なんかも、中国からきたものだ。
日常茶飯の中の茶も飯も、哲や思想、器や書や文房具など、あちらから
渡ってきたものをあげると枚挙にいとまがない。
明日は卒啄珈琲塾と無茶しぃの会。
珈琲を初めて飲んだのは、鎖国時代に唯一外国との交渉
ができた長崎は出島の芸者だったらしい。
どんな時代も、「時代を肌で感じる」のは女性と相場が
きまっているのかしらん。
混沌とした時代を煙にまくわけではないけど、あやうげな焙煎の煙
の中で、五里霧中で視界の狭まった時代を考えあっていこうと思う。
今週の土曜日と日曜日は、昨年に続き、「竹細工の展覧会」を二階で
やります。大分から竹職人さんがきて、竹の鞭をふりふりちーぱっぱ
で教わった生徒さんたちの作品が展示される。
土曜日は「お花の教室」の日でもあります。
明日が見えないような時は、何か自分がやりたいこと、やっておかねば
ならないことをするとよいと思う。
「何か毎日毎日没頭すること」が無心になる近道だと、昨日の順受の会(論語の会)
で教わった。最近は女子や若い男子も増え、ますます「時代」を感じる寺子屋の毎日。
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