ぼくの蕎麦の師匠は、高橋さん。仙人みたいに広島の山の奥で
そばのお店をやっている。そこの建物を設計したのが昨日のブログに
書いた白井さん。「雪花山房」。その縁で、白井さんが高橋さんに電話して、
ぼくは蕎麦をやるようになった。ちょうど蕎麦打ちの初日は雪が降って
建物も庭もまわりの山の木々も雪一色だった。
「まさに雪花山房だなあ」と思っていたけど、あとで、それが
白楽天の詩「村夜」から命名されたとわかった。
月明蕎麦花如雪(月明らかにして 蕎麦の花雪の如し)。静かな寒村に雪が降った日の静謐な静かさと闇の深さが感じられる
ような蕎麦花の美しい詩。
今日は日曜日なので16時に閉店して、それから「蕎麦打ち教室」
若い人たちは、将来田舎暮らしをし、自給自足や持続可能な土や自然にふれあうような
生活をしたいと思っているような気がする。ぼくの蕎麦打ちに参加する人は、そんな類の
意識を持った人が多い。ぼくも蕎麦を習いにいった時は、そのころ池袋でギャラリーを
始めたころだったので、集まってくる芸術家たちと蕎麦会という日本人の飲み会の原点
みたいな場で、談論風発しながら楽しんでいければ、みたいな気持ちでいたように思う。
昨日は、織田流煎茶道の仲間たちがカウンターに座った。煎茶の世界で正月にやる茶会を
「初煎会」という。ここ十年ばかり、表参道で行われる初煎会には、ぼくの蕎麦がでる。
「そろそろ、君らも蕎麦打ちや普茶料理をやらへん?」と昨日投げかけたら、Aさんが
「やろうかしら」と真剣な顔をした。
これからのお茶人は、昔のお茶人みたいに、もてなす時に料理やお菓子は、自分で
やってもらいたいものだ。魯山人先生は昭和のはじめころにすでに、そうのたまわれておられる。
めんどうなことやけど、その中にいろいろ大事なもんがつまっている。
人のいく裏に道あり花の山 雪花山房にいった時に、噛みしめた言葉。感謝。