先月のプロフェッショナルという番組に蕎麦の神様で、ぼくの蕎麦の師匠
の高橋さんが紹介された。人気の番組なのでかなり反響があり、いろいろな
とこで感激した声を聞いた。来年に大分の杵築市に移住するという話も業界の
話題になっている。彼が広島に「達磨」をつくったおかげでうどん文化の西日本に
蕎麦の花があっというまに広がったような気がする。雪花山房、と名つけられた建物は、
中国の詩人が、蕎麦の花を雪のように白いとうたったことに由来する。建築家・白井磨
さんの作で、そのご縁で雪花山房に蕎麦の修行にいくことになり、現在に至る。
大分といえば、天真庵に遊びにきていた若いくんが耶馬渓に移り住み、「雲与橋」という
フリーペーパーが季刊におくってくるようになった。先月3号がおくられてきて、田舎暮らし
の様子があたたかく伝わってきた。耶馬渓というのは、江戸時代の文人で煎茶を生涯
楽しんだら頼山陽が命名したものだ。
頼山陽と大分の田能村竹田の交換した書簡「亦復一楽帖」が煎茶の世界のあるべき姿を
今に伝えている。毎日のさりげない中に「豊かさ」を見つける感性こそ、風雅な生涯をおくるコツだ。
さて、これから「卵かけごはん」
夜は「論語の会」(順受の会)の忘年会。