MITIS 水野通訳翻訳研究所ブログ

Mizuno Institute for Interpreting and Translation Studies

地震 新旧刊紹介 

2005年07月25日 | 翻訳研究

一昨日の地震の時はNHK情報ネットワークのビルにいた。震度4ぐらいの感じだった。たまたま荷物があったのでタクシーを拾ったのだが、原宿駅前にすでに人があふれている。ちょっと多すぎるんじゃないのと思ったら山手線のホームに電車がのろのろと到着していたので理由が分かった。四谷駅前もかなりの人がいて、タクシーを探している。中央線の電車が超徐行で駅に入っていった。地下鉄は全面ストップ。それでも都内はまだましだったわけで、ネズミランドの最寄り駅などは大変なことになっていたようだ。今回の教訓。電車は止まってしまう。携帯電話はあてにならない。(自宅の方は本が5,6冊崩れ、パソコンの位置がずれていた程度でした。)

新刊紹介。
川口喬一(2005)『昭和初年の「ユリシーズ」』(みすず書房)
ジョイスの「ユリシーズ」翻訳史・事件史のようなもの。一応資料として。

以下2点は去年出た本。
和田忠彦(2004)『声、意味ではなく:わたしの翻訳論』(平凡社)
序章ではTranslation Studiesに若干触れている(但し文献は古く、捉え方に偏りあり)。あとは翻訳にかかわる文学的エッセイというところか。

新改訳聖書刊行会(編)(2004)『聖書翻訳を考える:「新改訳聖書」第三版の出版に際して』(いのちのことば社)
事情が分からないのだが、新改訳聖書刊行会というのは「聖書は誤りのない神のことば」と信じる福音主義の教会、教派、団体が結集した会らしい。翻訳の方針は次のようなものだ。

「…R. C. ヴァンルーウェンという学者が最近『もうひとつの聖書翻訳がどうしても必要』という、刺激的な題の小論文を発表しました。言語学者や翻訳者たちがしだいにFE理論(NidaのFunctional Equivalence理論のこと)を唯一の方法とすることに疑念を持ち始めていること、むしろ我々に真に必要な、もう一つの聖書翻訳は「トランスペアレント(透けて見える)」な訳、原文の形や言い回しを残した訳、時にはとっさに意味をつかめないような、ぎこちない訳でさえありうることを、数々の翻訳例で説明します。」「『新改訳聖書』はDE理論(NidaのDynamic Equivalence理論のこと)(やがてFE理論に発展)の隆盛期に必ずしもそれに同調しなかったため、その反省期に入った今では逆に最先端にいる、といえば言い過ぎかもしれませんが、いずれにせよ、まさに「トランスペアレントな訳」を願い、めざしていたと言えるでしょう。」

また、この本では、「差別語、不快語」の改訂も問題だったようだ。放送などのマスコミの言い換えと比較すると興味深い。マスコミの言い換えとは同じところもあるが違うところもあり、放送では許容されない表現が残るケースもある。最大の問題は「らい(病)」の改訳であり、結局「ツァラアト」に落ち着いたという。
なお上記R. C. ヴァンルーウェンの論文とは、R. C. Van LeeuwenのWe Really Do Need Another Bible Translationのことであり、全文はここで読める。
明日に続く。


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