MITIS 水野通訳翻訳研究所ブログ

Mizuno Institute for Interpreting and Translation Studies

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高校英語の新学習指導要領について

2009年03月12日 | 雑想

3月9日に高等学校の学習指導要領が改訂された。その中で英語だけが大きく報道されている。これは「英語の授業は英語で行うのが基本」と明記されたためだろう。実際は、意図的かどうか知らないが、本文の中に目立たない形で書いてある(ここの225ページを参照)。「…ことを基本とする」などと控えめに表現されているのは、おそらく高等学校学習指導要領(外国語)案に対するパブリックコメントなどを無視できなかったためだろう。語学教育全般、ひいては通訳翻訳の問題とも関連するので一言しておくことにする。

新指導要領への一般的反応は、(1) 教養としての英語教育を考えるなら読み書きの方が大切、(2) コミュニケーション重視はエリート教育であり、教育格差を生む、(3)
現実には現場の教師や生徒の能力に左右される(英語で授業なんて無理)。進学校にとって利点が乏しい、といったものが多い。いずれもあまり本質的な批判とは言えない。まともな批判としては柳瀬陽介さんや寺島隆吉さんのものがある(どちらもパブリックコメント)。またどんな人物が今回の改訂の旗振り役をしていたかについてはここに若干の示唆がある。(最後に委員の名簿があるが、問題とされている人物以外にもまともな研究業績があるのか疑わしい人物も含まれている。しかしそれはまた別の問題だ。)

今回の改訂に限らず、近年のコミュニケーション重視の指導要領は根本的に誤っていると思う。ただ、問題はその批判の視角だ。上記柳瀬の批判は的を外してはいないが、読解に焦点を合わせた寺島の批判の方が本質的だろう。ただし、寺島の議論でも不十分である。また柳瀬と寺島は意識的かどうか、戦略的理由からか理論的理由からかわからないが、「訳読」についての言及を避けているように見える。むしろここは(メタ言語としての日本語使用などではなく)訳読を正面から対置すべきではないのか。「読解」を指導するためにも訳読の位置づけは欠かせないし、語学教育の本質がそこにあると思う。ただ従来の訳読ではだめなのだ。ここのところを理論化することが「語学教育の一環としての翻訳」にとっての課題になる。いずれにせよ「英語で授業」のかけ声は現場では無視されるだろうし、そうであるべきだ。