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失職した日系ブラジル人3世 「日本に住み続けたい」 /島根

2009-01-23 09:31:31 | 多文化共生
(以下、毎日新聞から転載)
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失職した日系ブラジル人3世 「日本に住み続けたい」 /島根
 ◇言葉の壁に阻まれながら--出雲

 非正規労働者を中心に全国的に悪化している雇用情勢。出雲市の出雲公共職業安定所(ハローワーク出雲)では、新年早々から職を失った多くの人々で込み合っている。その中には日本人に交じって相談や登録に訪れる日系ブラジル人の姿も見られる。彼らは言葉の壁に阻まれながらも「このまま日本に住み続けたい」と訴える。【細谷拓海】

 ハローワーク出雲では、年明けの営業を開始した5日から14日までに519人の新規求職者が訪れた。昨年同時期(343人)の1・5倍だ。「そのうちの少なくとも100人はブラジル人です」。吉岡克美所長はそう明かす。

 ブラジル人の派遣労働者が多く住む同市。失業したブラジル人たちに対応するため、ハローワーク出雲では8日から、火~金曜の午前中のみポルトガル語の通訳を配置。日本語が不自由な労働者たちが絶え間なく訪れる。

 日系3世の西山リカルドさん(35)もその1人だ。02年に家族3人で来日し、広島県の自動車関連会社で約3年働いた。05年9月からは、電子部品製造会社で派遣社員として働くために出雲市で暮らし始めた。

 残業も多く、安定した収入を得ていたが「去年の6月ごろから周りの派遣社員が減り始めた」。そう振り返る西山さん自身も昨年11月、12月いっぱいの契約を更新しないことを会社から告げられた。

   ◇  ◇

 出雲市では05年5月末以降、ブラジル国籍の外国人登録者数が最も多くなっている。だが、1011人だった昨年1月末をピークに毎月減り続け、先月末には588人にまでなった。西山さんの近所にも8家族が住んでいたが、帰国したり、職を求めて引っ越す家族が相次ぎ、今は3家族が残るのみ。そんな中、西山さんは「ブラジルに帰りたいと強くは思わない。日本にこのまま住み続けたい」と語る。

 西山さんの最初の来日は97年。1年半滞在したが、妻レナータさん(32)の妊娠で一時帰国した。「1回目は必要性があって来たが、2回目は日本が好きだったから来た」。友人が多く住む日本で、家を買って住みたいのだという。

 夫妻がもう一つ気にかけているのが、3歳の時から日本で暮らす長女のサユリちゃん(9)のことだ。「ポルトガル語を分かっているわけではないので、帰国したら家庭教師をつけて特別な授業を受けさせる必要がある。それは本当に大変なこと」とレナータさんが説明する。

 だが、日常会話程度しかできない夫妻が不況の日本で職を得るのは簡単なことではない。レナータさんは先月から仕事を探し始めたが、ある時仕事の相談をした相手から「日本語が話せなければ、駄目です」と言われた。日本の工場や弁当屋で働いた経験もあるレナータさんは「やり方さえ教えてもらえればできるのに」と唇をかむ。西山さんもハローワークや派遣業者を通じて仕事を探しているが、面接を受けることすらかなわない。「今のところ無理。全然ない」。片言の日本語でつぶやいた。

   ◇  ◇

 西山さんの失業保険の給付期間は90日。期間が過ぎた後の暮らしに不安を抱えつつも、夫妻は「時間もあるし、日本語を学ぶことができたら」と前向きだ。「私たちにとって大切なことは、私たち自身が何かをできるということ。誰かに寄りかかるのではなく、自立して生活していきたい」。まっすぐに前を見つめたまま、レナータさんが言い切った。

毎日新聞 2009年1月22日 地方版

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