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生活保護の外国人 年金保険料を免除 厚労省、国籍差別批判受け

2012-10-22 09:38:08 | 多文化共生
(以下、東京新聞から転載)
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生活保護の外国人 年金保険料を免除 厚労省、国籍差別批判受け

2012年10月20日 夕刊

 厚生労働省は二十日までに、生活保護を受給している在日外国人の国民年金保険料について、本人が申請すれば自動的に全額免除とする方針を決めた。近く地方自治体に周知する。多くの自治体と日本年金機構の出先機関は従来、日本人と同様に申請なしで一律全額免除となる「法定免除」としてきたが、機構本部が外国人を適用外とする見解をまとめたため「国籍による差別だ」との批判が出ていた。

 機構本部の見解は八月十日付。国民年金法によると、法定免除となるのは生活保護法の対象者だが、外国人は日本国民に準じて生活保護を給付しているだけで生活保護法の対象ではないと指摘。法定免除ではなく、申請すれば前年の所得などに応じて免除の割合が決まる「申請免除」で対応する意向を明らかにした。

 批判を受け、厚労省は機構本部と協議。見解は変更しないものの、外国人受給者は国民年金法上、全額免除となる「保険料を納付することが著しく困難である場合」に当たると判断したという。

 生活保護に詳しい熊本市の外国人支援団体コムスタカの中島真一郎代表は「全額免除なら、保険料を払えずに無年金になることはないとはいえ、本質的な解決ではない。生活保護法の国籍条項を外して、外国人も準用ではなく、日本人と同じ扱いにするべきだ」と強調している。

 政府は一九五四年の旧厚生省通知で外国人にも生活保護法を準用。永住者や日本人の配偶者らには、日本人と同じ条件で給付している。

「災害多言語支援センター」設置訓練、外国人住民の支援体勢構築へ

2012-10-22 09:37:47 | 多文化共生
(以下、カナロコから転載)
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「災害多言語支援センター」設置訓練、外国人住民の支援体勢構築へ/平塚
2012年10月21日

災害情報を取捨選択し8カ国語への翻訳に取り組む海外出身16人と日本人2人の通訳翻訳ボランティア=平塚市立松原小体育館(平塚市天沼)
 災害時に外国人住民を支援する態勢を整えようと、県と平塚市は21日、「災害多言語支援センター」設置訓練を同市天沼の市立松原小体育館で行った。スタッフとして海外出身者16人(8カ国語)、日本人2人の計18人の通訳翻訳ボランティアが参加し災害情報の選別と翻訳を訓練。同小で同時開催の松原地区自主防災訓練に参加した外国人住民を対象に避難所巡回訓練も行った。外国人住民は「センターはとても助かる。不安が減った」と喜んでいた。

 災害多言語支援センターは、各自治体の国際交流協会などが災害時に設置し、難解な災害情報などを各言語で外国人住民に伝える。またスタッフが避難所を回り、外国人のニーズをつかむ。2007年の新潟県中越沖地震の際に設置されて以来、日本各地で設置の準備と訓練が進んでいる。

 松原小での訓練は、「多文化共生マネージャー全国協議会」副代表理事の高木和彦さんが講師となり指導した。県にも市にも初の取り組みとあって、県、市、他自治体などの職員約40人が同席し、センターの設置方法を研究した。

 ボランティアは、被害状況、仮設住宅申込書など災害時のさまざまな書類を渡されると、外国人に必要な情報を選別し分かりやすい日本語に要約。それを各言語に翻訳する手順で訓練を行った。ただ、必要な情報をめぐって意見が分かれ時間がかかることもあったという。日系ボリビア人でスペイン語通訳の當眞綾子さんは「最初に日本人が分かりやすくまとめるとスムーズにいく」と話した。

 巡回訓練では、平塚の避難所を地図で調べ巡回ルートなどを確認。体育館に訓練で来ていた外国人住民24人(5カ国語)を避難者に見立て聞き取りを行った。家族3人で訓練に参加していた日系ブラジル人の会社員赤嶺エリキさんはポルトガル語で質疑応答ができ安心した様子。「私もボランティアに参加しますと伝えました」と笑顔を見せていた。

鬼頭莫宏さんに聞く、不登校・ひきこもり

2012-10-22 09:37:23 | ダイバーシティ
(以下、Fonteから転載)
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鬼頭莫宏さんに聞く、不登校・ひきこもり
(12-10-22)

 今回お話を聞いたのは鬼頭莫宏さん。『なるたる』『ぼくらの』が、人気を集めた漫画家である。鬼頭莫宏さんが語った漫画家になるきっかけ、そして不登校・ひきこもり、いじめについての考えとは……。

――「みんな、かけがえのない存在」という善意のメッセージが社会にあふれていますが、正直、息苦しさを感じます。鬼頭さんはどう思いますか?(子ども若者編集部)
 最近はあまり言われなくなったのかもしれませんが、「命は地球よりも重い」っていう論調、私はすごく疑問を感じるんです。そんなことないだろうって。  自分の存在価値に悩んでいればいるほど「命は地球より重い」とか「かけがえのない命」という言説に一喜一憂してしまいがちですが、そこから離れたほうがいいというのが持論です。価値というと語弊があるかもしれませんが、それって結果ですから。
 もっと言えば、その価値自体のよし悪しも「自分の心のなかの満足感」で決まるんだと思うんです。他人と比較して、自分の価値や位置づけを決めるのではなく、まずは自分の価値をゼロにおく。というのも、「誰かの期待に応えなきゃ」という呪縛に縛られているうちは、自分の満足感に拠ることは難しいんです。
 「あなたはかけがえのない存在だから」と言われるのがしんどいというのは、よくわかります。しかも、同じセリフでも身近な人に言われるのと、どっかの雑誌で書かれていることではだいぶ変わってきます。自分の身近な人であれば、たしかに居てくれるだけでかけがえのない価値があります。しかし、大集団のなかの一員という位置づけで言えば、「別に存在するだけで価値は何もない」と感じるのは至極当たり前だと思います。そういうオンリーワンな風潮に対して自分が応えられないとなると、自分に問題があるように感じてしまうこともあるんだろうと思います。

インタビュー全文は本紙にて。月800円にて購読可能(クレジットカード決済にかぎる)。鬼頭さんのインタビュー記事を希望の場合は、備考欄にてその旨、付記ください。