タムリンの備忘録
山、花、鳥、旅などの写真を中心とした自然観察記録です。
自然が大好きな方々のご訪問をお待ちしています♪



 



「名前の通りよい匂いのするものが多い。」といわれていますが、何故か私には匂わないのです。アレルギー性鼻炎の所為でしょうが、そんなに匂いは強くないように思います。また、個人的には匂いのする個体も少ないような気がします。タチツボスミレに似ていますが区別のポイントがいくつかあります。
①タチツボスミレよりも色が濃く、鮮やか。色は濃紫色~紅紫色。
②花の中心部の白色がはっきりして、花弁は広く丸みがあり重なり合っている。
③花期は無茎種のように見えるが、花の後は茎が立ち上がる。
④花柄に微毛がある。
⑤側弁は無毛。
⑥葉は先があまりとがらない卵形で、タチツボスミレよりも細長い。
⑦開けた草地やまばらな落葉樹林下など、明るく乾いた環境を好む。
いがりまさし著「増補改訂 日本のスミレ」参照








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タチツボスミレもノジスミレやスミレと同様に人里付近で見かけることができます。
写真は、岩国市美川町の家内の実家近くで撮ったもの。
しかし、スミレやノジスミレとの大きな違いは地上茎があることです。
スミレを分類するまず最初の特徴は、地上茎があるかないかです。
スミレやノジスミレは葉柄や花柄が地面周辺の茎からすべて出ています。それに対して、タチツボスミレは地上茎を伸ばしそこから葉柄や花柄を分岐してつけます。
タチツボスミレには、以下の特徴があります。
①日本を代表するスミレで、古典に出でてくるスミレはタチツボスミレらしい。
②花期は2~5月、咲き始めは地上茎は目立たないがしだいに茎を斜上させる。
③花は直径1.5~2㎝で薄紫色。
④花柄には毛がない。(基本は毛がないが、毛がある個体も多い。今回の写真は毛のあるタイプ。)
⑤葉の形は2~4㎝の心形。
⑥距はやや細長く紫色を帯びる。
⑦側弁は無毛。
※日本全土に分布し、個体数も多く、適応の幅も広いため、様々なタイプがあるので同定が難しい場合がある。
いがりまさし著「増補改訂 日本のスミレ」参照
※追記 タチツボスミレの葉は心形、スミレとノジスミレはへら状なので葉の形からすぐに区別できます。










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写真はスミレ科スミレ属のスミレ。
先のノジスミレとの違いについて少し触れてみたいと思います。
いがりまさしさんは、ノジスミレを「スミレを全体的にだらしなくした感じ」と表現しています。
スミレとノジスミレの違いのポイント。
①ノジスミレの方が花期が少し早い。
 ノジスミレ 3月~5月、スミレ 3月下旬~6月
②ノジスミレの花は、スミレと同じ濃紫色だが、やや青みが強くくすんだ色合い。花弁の縁が波打ちどことなくあか抜けしない。
③スミレは側弁の基部が有毛だが、ノジスミレは無毛。
④スミレの葉はへら形で葉柄に翼があるが、ノジスミレには翼がない。また、ノジスミレの方が葉の幅が広く、花期の葉はよく開かず、縁が破れたような感じ。
⑤スミレの草丈は7~15㎝、ノジスミレは4~8㎝とあまり高くならない。
⑥ノジスミレには全体的に微毛があり、その所為でくすんだ印象を受ける。
いがりまさし著「増補改訂 日本のスミレ」参照
区別の一番のポイントは③の側弁の基部か有毛か無毛かでしょうね。








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 この時期の花の話題といえばやはり桜でしょう。花の咲き具合や天候を気にしながら、花見をいつにするか思案中の方も多いと思います。私は桜が咲き始めるともう一つの楽しみがあるのです。「スミレの季節がやってきた!」と散歩にカメラを持参したり、野山をウロウロしたくなります。今年最初に撮影したスミレは「ノジスミレ」でした。スミレはスミレ科スミレ属の植物の総称として使うのが普通で、それぞれの種類には○○スミレという名がついています。でも、スミレという名のスミレもあるのです。スミレは種類が多くその上個体による特徴の変化が豊富で、さらに雑種をたくさんつくります。だから、その名を特定するとき、どう判断するか難しくなります。またそれが楽しみであったりもするのです。写真を撮る時は後の分類のことを考え、3種類撮ることを基本としています。真正面からの花の写真(なるべくめしべの形が分かるような角度で撮ります。)、真横からの花の写真(距とよばれる部分、花茎の毛のようすが分かるように撮ります。)それから、スミレ全体の写真(全体の形、葉のようすが分かるように撮ります。)分かりにくそうなときは、葉の表と裏の写真も追加して撮ります。そして家で写真を見ながら、インターネットや本を使って調べます。図鑑はいがりまさし著「増補改訂 日本のスミレ」(山と渓谷社)を使います。今回の写真はめしべの柱頭の形が分からないのでよい写真とはいえません。スミレと思って撮影しましたが、念のため「日本のスミレ」で特徴を調べるとノジスミレでした。勘違いや思い込みによる間違えが増える年頃になったので「改めて確かめる。」習慣をつけることの大切さを感じました。







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ヒメウズは、キンポウゲ科オダマキ属の多年草。
道ばたやあぜ道などを注意深く捜すと見つけることができます。
しかし花が小さく下を向いて、おまけにあまり開かないので、
それほど魅力的な花とはいい難く、
雑草として抜かれてしまうことがほとんどでしょう。
キンポウゲ科の植物には私好みの花が多く、
ヒメウズの花もアップで撮影できると、きっと綺麗なはずなのです。
でも残念ながら、いい写真が撮れたためしがありません。
コンパクトカメラでは、これくらいが限界かな?









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デジカメで撮った写真をスライドショーにしてDVDに書き込むことができないかと同僚に尋ねられました。面倒臭そうなので普通なら断るのですが、中・高の後輩でこころよく思っている人なので引き受けることにしました。でもやったことがないので、ソフト捜しから始めないといけません。なかなかいいソフトが見つかりませんでしたが、やっと目当てのソフトが見つかりました。DVD slideshow GUIというソフトです。ダウンロードしたのはいいのですが、英語版なので日本語に変換しなければ使いにくいのです。しかし、日本語化パッチファイルが見つかりません。仕方がないので英語のまま適当に使ってみることにしました。数枚の写真を使って試してみましたが意外と簡単にできました。ところが、本番では何故かうまくいかないのです。DVDに書き込みはできてもDVDプレイヤーで再生しようとするとエラーになってしまいます。いろいろやってみましたが英語が分からないので原因を突き止めることができません。何枚かのDVD-Rを無駄にした後、写真の数が多すぎて容量が不足するせいかもしれないと思い、2枚に書き込むことにしました。すると幸運にもうまくいきました。英語が分かればこんなに苦労しなかったに違いありませんが、今さら後悔してもも仕方ありません。誰か早く日本語化パッチファイルを作ってくれないかな。

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クンシランの花が咲いてホッとしました。
このクンシランは10年以上前に買い求め、鉢に植えたものです。
株はだんだん大きくなり、葉の数も増えてゆきました。
そして数年後の早春、初めて1本の花茎を伸ばし花を咲かせたのです。
その時は嬉しくて何枚も写真を撮りました。
それから毎年、花茎を1本伸ばして花を咲かせていました。
株の大きさに合わせて鉢もだんだん大きくしていきました。
ところが、何故か昨年花を咲かせなかったのです。
鉢の大きさには余裕があります。
肥料が足りなかったのかも知れません。
だから、今年はこまめに液肥をやりました。
その成果あってか、なんと2本の花茎を伸ばすことができたのです。
そして、その1本が開花しました。
満開にはもう少し時間がかかりそうですが、嬉しかったので早めにアップしてしまいました。








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花粉症といっても体質や気質の影響も大きいと思われるので、
症状や苦痛の度合いも様々でしょう。
しかし、程度の差こそあれ不快な状況には変わりありません。
私の場合はアレルギー体質なので鼻炎や皮膚のかぶれ等、
夏場以外はいつも調子が悪いのですが、
花粉の飛散時期になると、
体全体や眼のかゆみがひどくなるのですぐに分かります。
先週ぐらいから症状は顕著になり、ここ2・3日は最悪です。
風呂に入っても着替えをしてもかゆいのです。
2月に入る頃から服薬をしていますが、
花粉が多くなると全く効果がありません。
時が過ぎ、4月になるのが一番の薬のようです。


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「FMきらら」ご存じですか?
宇部市にあるコミュニティFM放送局です。
コミュニティ放送局の成功例として全国的にも有名で、
「成功するコミュニティFM放送局」という本も出ているんですよ。
FMラジオを80.4MHzに合わせると聞くことができます。
クラブ員になると「クラブきららカード」が発行され、
加盟店でカードを提示すると様々な特典があります。
先日、初めて使ってみました。
とある食堂でカードを提示し、
お味噌汁をサービスしてもらいました。
今まで何故か気恥ずかしくて使えなかったのですが、
いざ使ってみると何でもありません。
すごく得した気分になりました。
カードを使うと放送局も加盟店も利用者も得した気分になるのなら、
どんどん使った方がいいに決まっています。
FMきららの放送は、通勤途中の車で毎日聞いています。
バスショピングや旅行などの様々な企画もあり、
地域に密着した魅力的な放送局です。


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13日9時から「NHKドラマ 火の魚」を観た。普段、ドラマはほとんど見ないが、予告編を聞いて面白そうだと思い、予約録画した。見たいと思っても、忘れていたりその時間に用事が入ったりするので録画しておくのが一番。しかし、何もない時は録画しながら見ることになる。昔は人気作家であった小説家が、大病を患いそれを機に瀬戸内海の島に移り住み、孤独な生活をしながら細々と駄作を書き続けて暮らしている。そこへ、担当者の代わりに若い女性記者が原稿を取りに来たところからひと夏の2人の奇妙な交流が始まる。女性記者は、拒否されてもひるむところがない。おまけに老作家の作品について、自分の思っていることをずけずけと言う。老作家は女性記者に「人形劇をやれ」とか「金魚の魚拓を表紙の装丁にしろ」とか無理な要求を突きつけてくるのだが、彼女は不思議と素直に受け止め、それらを叶えていくのであった。ストレートな2人のやりとりはややもすると感情がもつれ、決裂へと向かって行ってもおかしくないように思えるが、そうはならない。どこかにお互いを受け入れる友情めいたものを感じる。そのわけは、姿を見せなくなった女性記者を案じて老作家が編集社に電話をかけることで分かる。2年前に患ったがんが再発して入院したという。老作家はすぐさま東京の病院に向かう。「ストレスを与えてしまって済まなかった」とあやまる老人。「逆です。あなたの孤独に救われました」と女性。死を意識することにより生じる孤独。しかし、もっと悲惨な孤独があることを知り、その孤独を共感することにより救われたと。原作に室生犀星とあった。なるほどと思った。くらいテーマなのにどこかユーモアに彩られた明るさがある。昔読んだ「杏っ子」もそうであった。離婚をはじめあまり幸福でなかった娘の人生を描きながらどこか明るかった。

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アルフレッド・ウェゲナーがドイツの地質学会で大陸移動説を唱えたのは1912年1月のことである。その頃気象学者であったウェゲナーは「専門家でもない気象学者が何をいうか」と地質学者たちから激しい批判を浴びたのであった。ウェゲナー自身によると大陸移動の考え方を最初に抱いたのは1910年であるという。ウェゲナーの大陸移動説は、大西洋をはさんでその両側にある、北・南アメリカ大陸とヨーロッパ・アフリカ大陸の海岸線の出入りがあまりにも似ていることから出発している。ウェゲナー以前も大陸の移動について言及した人たちはいるがいずれもその根拠を明らかにしていない。しかし、ウェゲナーは、測地学、地球物理学、地質学、古生物学、動物地理学、植物地理学、古気候学などの広い分野から大陸の移動を裏付ける証拠をみいだし、理論を組み立てていったのである。グリーンランドでの気象研究が多くの人々の注目を浴び、「大気圏の熱力学」と言う本を著し好評を得た彼であったが、偶然なことから大陸移動説にのめり込むことになる。第一次世界大戦で軍務に服し、首に弾丸を受け、やがて傷は癒えたが心臓疾患から野戦勤務ができなくなり、戦争が終わるまで各地の測候所で気象サービスに従事した。そのお陰で大陸移動説をより完全なものにするための研究を続けることができた。1915年大陸移動説は、「大陸と海洋の起源」というタイトルで初めて出版された。その後、新しい証拠を書き加えながら第2版、第3版が出版された。完成された大陸移動説を少し説明してみると、先述の大西洋をはさむ四つの大陸のみならず、南極大陸やオーストラリア大陸も海岸線でつないで超大陸の一部としている。さらにインド半島をアジア大陸から切り離してアフリカ大陸の東側に位置した。そして、このようにしてできた超大陸を「パンゲア」(すべての陸地という意味)とよんだ。また、パンゲアの中で、南に位置する南アメリカ、アフリカ、南極、オーストラリア大陸にインド半島を加えたものをゴンドワナ大陸、北に位置する北アメリカ、ユーラシア大陸をローラシア大陸と名付けた。ローラシア大陸とゴンドワナ大陸との間には、地中海の前身であるテチス海という内海があった。そして、超大陸パンゲアは古太平洋というただ一つの海に取り囲まれていた。大陸同士の地質学的共通点(同じ鉱物や岩石の産出、氷河期の堆積物や浸食跡、石炭や植物の分布)や古い時代の気候、古生物の分布などから超大陸の存在を裏付けた。パンゲア大陸は、約1億5000万年前頃に分裂して移動をはじめ、長い年月を経て現在のような大陸分布ができあがったのである。しかし、当時の人々には大陸移動説は受け入れられなかった。大陸を移動させる原動力が分からなかったためである。ウェゲナーはそれをアイソスタシー(地殻均衡説)に求めたが、地殻の上下の運動は説明できても水平運動を説明することはできなかった。1929年の「大陸と海洋の起源」第4版の中で、マントル対流について述べているが、それが長年探し求めていた大陸移動の原動力であることには気がつかなかった。今日では、大陸の移動は、プレート・テクトニクスとよばれる理論により説明される。地球の表面は、約10枚ほどのプレート(板)でおおわれている。プレートは地殻を含む地球表面の厚さ約100㎞の部分で大陸たけではなく海底もこの上にある。そして、これらのプレートはマントル対流にのって移動し続けている。そのため、大陸も海洋もいっしょに運ばれていく。各プレートは地球の表面を違った方向に向かって移動しているため、隣り合うプレートどうしがぶつかり合ったり離れ去ったりして、褶曲や断層地形をつくる。そして、プレート全体もある方向に移動している。それで、南極や北極の移動も説明できる。1950年代になり、古磁気学という新しい学問によりウェゲナーがのべたとおりに大陸が移動していることが明らかになったのである。また、海底地質学という学問が、海嶺(海底火山)がマントル対流の上がり口であることをつきとめた。海嶺に向かってわき上がってきたマントルがそこで左右に分かれ水平に進むために、マントル対流にのって大陸(プレート)が移動することが解明されたのである。ウェゲナー(当時50歳)がグリーンランドの探検で命を落としてから20年後のことであった。(Newton 世界の科学者100人 竹内均監修 KYOIKUSHA 要約 )地震はプレートどうしがぶつかりあったときのゆがみから生じ、断層や褶曲も引き起こすと考えられている。地球上で大きな地震が発生し、地震情報やそれにともなう警報や被害が発表されるたびに、ウェゲナーのことを思い出すのは私だけだろうか。

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