タムリンの備忘録

山、花、鳥、旅などの写真を中心とした自然観察記録です。
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大陸移動説(アルフレッド・ウェゲナー)

2010年03月07日 | 日記
アルフレッド・ウェゲナーがドイツの地質学会で大陸移動説を唱えたのは1912年1月のことである。その頃気象学者であったウェゲナーは「専門家でもない気象学者が何をいうか」と地質学者たちから激しい批判を浴びたのであった。ウェゲナー自身によると大陸移動の考え方を最初に抱いたのは1910年であるという。ウェゲナーの大陸移動説は、大西洋をはさんでその両側にある、北・南アメリカ大陸とヨーロッパ・アフリカ大陸の海岸線の出入りがあまりにも似ていることから出発している。ウェゲナー以前も大陸の移動について言及した人たちはいるがいずれもその根拠を明らかにしていない。しかし、ウェゲナーは、測地学、地球物理学、地質学、古生物学、動物地理学、植物地理学、古気候学などの広い分野から大陸の移動を裏付ける証拠をみいだし、理論を組み立てていったのである。グリーンランドでの気象研究が多くの人々の注目を浴び、「大気圏の熱力学」と言う本を著し好評を得た彼であったが、偶然なことから大陸移動説にのめり込むことになる。第一次世界大戦で軍務に服し、首に弾丸を受け、やがて傷は癒えたが心臓疾患から野戦勤務ができなくなり、戦争が終わるまで各地の測候所で気象サービスに従事した。そのお陰で大陸移動説をより完全なものにするための研究を続けることができた。1915年大陸移動説は、「大陸と海洋の起源」というタイトルで初めて出版された。その後、新しい証拠を書き加えながら第2版、第3版が出版された。完成された大陸移動説を少し説明してみると、先述の大西洋をはさむ四つの大陸のみならず、南極大陸やオーストラリア大陸も海岸線でつないで超大陸の一部としている。さらにインド半島をアジア大陸から切り離してアフリカ大陸の東側に位置した。そして、このようにしてできた超大陸を「パンゲア」(すべての陸地という意味)とよんだ。また、パンゲアの中で、南に位置する南アメリカ、アフリカ、南極、オーストラリア大陸にインド半島を加えたものをゴンドワナ大陸、北に位置する北アメリカ、ユーラシア大陸をローラシア大陸と名付けた。ローラシア大陸とゴンドワナ大陸との間には、地中海の前身であるテチス海という内海があった。そして、超大陸パンゲアは古太平洋というただ一つの海に取り囲まれていた。大陸同士の地質学的共通点(同じ鉱物や岩石の産出、氷河期の堆積物や浸食跡、石炭や植物の分布)や古い時代の気候、古生物の分布などから超大陸の存在を裏付けた。パンゲア大陸は、約1億5000万年前頃に分裂して移動をはじめ、長い年月を経て現在のような大陸分布ができあがったのである。しかし、当時の人々には大陸移動説は受け入れられなかった。大陸を移動させる原動力が分からなかったためである。ウェゲナーはそれをアイソスタシー(地殻均衡説)に求めたが、地殻の上下の運動は説明できても水平運動を説明することはできなかった。1929年の「大陸と海洋の起源」第4版の中で、マントル対流について述べているが、それが長年探し求めていた大陸移動の原動力であることには気がつかなかった。今日では、大陸の移動は、プレート・テクトニクスとよばれる理論により説明される。地球の表面は、約10枚ほどのプレート(板)でおおわれている。プレートは地殻を含む地球表面の厚さ約100㎞の部分で大陸たけではなく海底もこの上にある。そして、これらのプレートはマントル対流にのって移動し続けている。そのため、大陸も海洋もいっしょに運ばれていく。各プレートは地球の表面を違った方向に向かって移動しているため、隣り合うプレートどうしがぶつかり合ったり離れ去ったりして、褶曲や断層地形をつくる。そして、プレート全体もある方向に移動している。それで、南極や北極の移動も説明できる。1950年代になり、古磁気学という新しい学問によりウェゲナーがのべたとおりに大陸が移動していることが明らかになったのである。また、海底地質学という学問が、海嶺(海底火山)がマントル対流の上がり口であることをつきとめた。海嶺に向かってわき上がってきたマントルがそこで左右に分かれ水平に進むために、マントル対流にのって大陸(プレート)が移動することが解明されたのである。ウェゲナー(当時50歳)がグリーンランドの探検で命を落としてから20年後のことであった。(Newton 世界の科学者100人 竹内均監修 KYOIKUSHA 要約 )地震はプレートどうしがぶつかりあったときのゆがみから生じ、断層や褶曲も引き起こすと考えられている。地球上で大きな地震が発生し、地震情報やそれにともなう警報や被害が発表されるたびに、ウェゲナーのことを思い出すのは私だけだろうか。