タムリンの備忘録
山、花、鳥、旅などの写真を中心とした自然観察記録です。
自然が大好きな方々のご訪問をお待ちしています♪



 



 映画「男たちの大和/YAMATO」のロケは尾道市の向島で行われました。撮影終了後、大和はロケ現場にしばらく展示され一般公開されていたみたいですが、今は解体され、その一部が大和ミュージアムに通じる渡り廊下に繋がったビル(大和ミュージアム別館)のロビーに展示されています。映画は、2005年12月17日に全国劇場公開され、同年の邦画興行収入1位となったそうです。







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 2年前の夏には、知覧の特攻平和公園に行きました。特攻隊員の家族にあてた手紙や出撃前夜の様子を知り、とてもやるせない思いをしました。敗戦が濃厚でもうどうしようもない状況下で、神風特別攻撃隊を編成した軍部。戦争をもう1年早く終わらせていたら・・・といつも思うのです。零戦の操縦席は思いの外狭く、想像以上にたくさんの計器が装備されていました。
 展示されている機体は、昭和20年(1945年)8月6日夕刻、吾妻常雄(あづまつねお)海軍中尉(当時)が操縦飛行中、エンジントラブルにより琵琶湖に不時着水し、昭和53年(1978年)1月に引揚げられたものです。機体の修復は吾妻氏ご本人の協力を得て行われました。(解説文による)








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 大和ミュージアムの大ホールには、全長26.3メートルもある戦艦大和の模型が展示されています。実物の10分の1の大きさだそうです。7・8月は閉館時間を18時から19時に遅らせている関係で、17時を過ぎた時間帯にもかかわらず、たくさんのお客さんで賑わっていました。映画「男たちの大和」で再び注目されているのでしょう。







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 紹介する順番が違いましたが、今回は、尾道~鞆の浦~呉という旅程でした。鞆の浦をお昼過ぎに出発して呉に向かいました。高速のSAで昼食をとる目的もあり(尾道ラーメンが食べたかったのです。)、距離的には近い海岸沿いの一般道は走りませんでした。結果的にはこれが大失敗で、遠回りをした上に、ナビに載っていない無料の高速を反対方向に走ったりして道に迷い、目的地の音頭大橋に到着する時間が大幅に遅れてしまいました。でも、やっと尾道ラーメンを食べることができたのでよしとしましょう。
 音頭大橋は、瀬戸内海ではじめて本土と島に架けられた橋で、紅の主橋(アーチ橋)と、倉橋島側の三重螺旋橋(ループ橋)が特徴の橋です。音戸の瀬戸は船舶の往来が激しく、大型船舶もたくさん通るため、本土側は主橋を含む変則二重ループ線、倉橋島側は日本初の三重螺旋型の高架橋となったそうです。1961年の開通時には有料でしたが、1974年より無料化されています。時間があれば車で通ってみたかったのですが、渋滞が激しい上に時間がなかったので、今回は写真を撮るだけで次の目的地大和ミュージアムへ向かいました。










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 千光寺公園山頂から文学のこみちを下ると千光寺に行くことができます。両親には少しきついので公園のベンチに休んでもらい、妹親子と叔父と私で行くことにしました。千光寺でまず目に入ったのは小さな地蔵の行列でした。後にニコニコ地蔵という名を知りました。妹は母の足の痛みがとれるようにとお守りを買っていました。朱塗りが目立つ本堂からは尾道市街が一望でき、夜景の名所としても知られています。立派な鐘楼もありました。尾道市民はここで突かれる除夜の鐘を聞きながら新年を迎えるのでしょう。千光寺が尾道のシンボル的な存在として、観光客や市民に愛される理由が分かるような気がしました。







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 尾道の千光寺公園を訪ねました。展望台からは尾道市内や向島をはじめとする瀬戸内海の島々、尾道大橋や新尾道大橋、尾道水道などの景色を楽しむことができます。また、ここは「桜名所100選」「文学のこみち」も有名です。展望台からの絶景を楽しんだ後、千光寺をお参りしました。







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 山中鹿之助(やまなかしかのすけ)は、戦国時代に毛利氏に滅ぼされた尼子(あまこ)氏の家臣でした。尼子氏の再興を企て兵を挙げましたが、1578年(天正6)岡山県高梁川阿井の渡で討たれ、鞆で毛利輝元(もうりてるもと)に首実検されました。首塚は静観寺にあります。一方、胴塚は岡山県高梁市の阿井の渡にあるそうです。山中は母の旧姓なので母や叔父は講談などで聞いて興味を持っていたみたいです。静観寺に寄って山中鹿之助の詳しい資料をいただきました。
 首塚のすぐ側の道にはささやき橋というとても小さな橋がありました。応神天皇の頃、百済よりの使節の接待役・武内臣和多利(たけのうちのおみわたり)と官妓(かんぎ)・江の浦は役目を忘れ、夜毎この橋で恋を語り合っていました。それが噂になり二人は海に沈められました。それから秘語(ささやき)の橋と語りつがれています。










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福山市営渡船のりばから、「平成いろは丸」に乗って約5分で仙酔島に渡ることができます。前日、台風の影響で運行中止になるかも知れないと言われていましたが、台風がそれたので予定通り島に渡ることができました。
 平成いろは丸は、鞆の浦で沈没した「いろは丸」を再現したものですが、全長約22メートル、19トン・定員99名の実際より少しこぶりな船です(1枚目の写真)。2枚目の写真は、海岸沿いにある遊歩道です。3枚目の写真は、5色岩です。黒・赤・青・黄・白の5色の岩が海岸に延々と1キロに渡って続いています。








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 鞆の浦は、広島県福山市鞆町にある港湾とその周辺の海域をいいます。最初に指定された国立公園のひとつ瀬戸内海国立公園の中心的場所でもあります。また、坂本龍馬の所有していた蒸気船「いろは丸」が紀州藩の蒸気船と衝突して沈没し、賠償の交渉などで坂本龍馬がしばらく滞在した場所としても有名です。最近では、宮駿が「崖の上のポニョ」の構想を練った場所として知られるようになり、ここ数年観光客を増やしています。今回の旅行では尾道、鞆の浦、呉を訪ねました。







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ツガザクラにそっくりですが、薄いクリーム色~薄い黄緑色の花を咲かせるものがアオノツガザクラです。







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 ツガザクラは、ツツジ科ツガザクラ属の常縁小低木。栂(ツガ)の葉に似て、サクラのような淡いピンク色の花を咲かせることからこの名がつきました。草原や岩の割れ目などでたくさんの群落を見ることができました。鐘状のの一つひとつの花も可愛くていいのですが、たくさんの花が朝露に濡れている様も絶品です。









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 イワカガミ、イワイチョウ、イワウチワ、イワオトギリ、イワギキョウなど高山植物には紛らわしい名前が少なくありません。だから、うっかり間違えたり、こんがらがってしまい尚更分からなくなったりします。たとえば、よく聞く植物の名前の頭に次のような言葉がつく高山植物が結構あります。ミヤマ***、オヤマ***、タテヤマ***、ハクサン***、エゾ***、タカネ***などなど。私は、今回の立山での植物観察会で、イワイチョウとイワウチワを間違えてしまいました。イワイチョウは、ミツガシワ科・イワイチョウ属。ミツガシワは山口市宮野の法明院裏の池に自生地があります。そしてここが、自生地の南限といわれています。イワイチョウと花の形がとてもよく似ています。







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 低山から亜高山、アルプスなどの高山にまで広く分布しています。山口県の比較的低い山に咲くイワカガミは葉が大きなオオイワカガミです。立山にはイワカガミとコイワカガミがあるということでしたが、葉の大きさや鋸歯の様子で区別するくらいであまり大きな特徴の差はないみたいなので特に注意して区別することはしませんでした。イワカガミは、イワウメ科・イワカガミ属。岩場や草原に生育し、葉が鏡のように姿を写すほどの光沢があるのでその名がつきました。場所や標高により花の咲く時期は異なります。山口県や九重・阿蘇では5月頃から咲いていますが、標高が高くなるにつれて花期は7月~8月と遅れます。







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 イチゲとはイチリンソウのことです。ふつう茎頭に一つ花をつけます。私の知っているイチリンソウの仲間には、ユキワリイチゲ、アズマイチゲなどがあります。しかし、ハクサンイチゲはたくさんの花をつけています。キンポウゲ科イチリンソウ属。







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