昔に出会う旅

歴史好きの人生は、昔に出会う旅。
何気ないものに意外な歴史を見つけるのも
旅の楽しみです。 妻の油絵もご覧下さい。

石垣島 「伊原間海岸」の津波石

2007年05月23日 | 沖縄の旅
八重山旅行、石垣島2日目(4/22)
「玉取崎」から北に約1.5Kmの太平洋側に「伊原間(いばるま)海岸」があります。
「平久保崎」へ行く途中、「伊原間海岸」にある「明和の大津波」で打上げられたと言われる珊瑚石を見に立ち寄りました。



「伊原間海岸」の入口にアダンの木が見えます。
確か2日前の天気予報は雨でしたが、幸い曇りになりました。
晴れの日のすばらしい海の色が見られなく、ちょっと残念です。



「伊原間(いばるま)海岸」に入るといきなりこんな風景が目に入りました。
「流木」と呼んでいいのでしょうか。
おそらく海岸付近の木が暴風雨にさらされて流されてきたものと思われます。
「根こそぎ」とはこんな状態のことを表現したのかと変な感動を覚えました。



「流木?」は、皮がはげたものが大半でした。
黒潮にのって台湾や、フィリピンなどの島々から色々なものが流れて来るといわれていますが、いったいどこから流れてきたのでしょうか。。



こんなしっかりと根が張った木が流されて来たところをみると、海岸が大きく崩れ、周りの土ごと波にさらわれたのでしょうか。



波打ちぎわの近くに大きなイカの甲が流れてきていました。
長さ35cmはある甲で、八重山で「クブシミ」と言われる巨大な甲イカ科のイカのようです。
「クブシミ」は、和名を「コブシメ」と言い、3母音の沖縄方言を5母音的に修正した名称のようです。
「クブシミ」は、石垣島のサンゴ礁で産卵風景が見られるようです。
大きな体にもかかわらず美味いそうで、燻製で土産物でも売られているようです。



「津波石」と言われている黒い大きな珊瑚石がありました。
満潮で、石のそばで見られませんでしたが、石に渦巻き状の模様があります。
4/23に掲載の 巨大な津波石 「石垣島の観光」2日目 でも紹介した「明和の大津波」で打上げられたものといわれています。
1771年(明和8)4月24日午前8時頃、石垣島の東南東約40㎞の海底でM:7.4の大地震が発生、八重山諸島・宮古諸島を巨大な津波が襲い、死者・行方不明者は約12,000人にも及び、壊滅的な被害となったそうです。
特に、石垣島の南部では高さ80mを超える巨大津波だったと言われています。



「津波石」と思われる黒い岩は、海岸付近に点在しています。
八重山諸島・宮古諸島の人々は、江戸幕府-薩摩藩、中国清の二重支配で苦しむ琉球王朝の支配下で、重い人頭税に苦しめられていたそうです。
その苦難の生活を更に追い詰める巨大津波の被害からの立ち直りは、想像を絶する苦労だったものと思われます。
この美しい海が、再び暗黒の海に変身しないことを祈らずにはいられません。


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