昔に出会う旅

歴史好きの人生は、昔に出会う旅。
何気ないものに意外な歴史を見つけるのも
旅の楽しみです。 妻の油絵もご覧下さい。

西表大原港に津波石?

2007年06月24日 | 沖縄の旅
西表の観光を終え、大原港での待ち時間に周辺を散策してみました。



仲間橋の欄干の親柱の上に「イリオモテヤマネコ」の像が作られています。
向かいのネコを見ているのでしょうか。


向かいの「イリオモテヤマネコ」の像です。
なぜかずいぶん太めの体型に作られていますね。


大原港(仲間港)の待合い施設「なかまりん」です。
レンタカー会社の人に送って頂きました。


「なかまりん」の駐車場の端の歩道沿いに、大きな岩を見つけました。
駐車場の歩道を奥に向いて撮ったものです。


岩の高さは3mくらいあったと思います。
岩の上には松などの木が生えています。


上の写真の横にも大きな岩が二つ並んでいます。
この岩の上にも木が元気に育っています。


上の二つの岩の右の方を近づいて撮ったものです。
いわの向うの一段高い所に集落があるようです。


駐車場の入口方向に向いて撮ったものです。
岩の高さは4m以上あったようです。
こんな大きな岩がなぜここにあるのか考えてみました。


これらの岩が「明和の大津波」によるものではないか調べてみました。
地図の下部に震源地(北緯24.0度、東経124.3度)があります。
震源地から各地へ向かった矢印の色は赤色の矢印が80%の死者、緑色の矢印はほとんど死者がなかった、黄色の矢印は15~40%の死者がでた場所です。
西表島では⑦の矢印、古見村の被害が最も多く、約151名(18%)出ています。
⑧の矢印が大原港への津波の進行と思われますが、ほとんど死者が出ていません。

震源地と、津波の発生原因・発生場所が必ずしも同じとは限らないことも考えられます。
又、津波の強さと、被害の大きさが防風林などの関係で比例しない可能性もあり、なかなか素人には判断できないことが分かりました。

しかし、この岩が、海岸に打上げられ、内陸深くまで打上げられた石垣島の 大浜の津波石 と比べて被害の程度とは余り矛盾しないと考え、これらの岩を津波石と推定しました。


西表観光が終わり、石垣島に向けて出航です。