昔に出会う旅

歴史好きの人生は、昔に出会う旅。
何気ないものに意外な歴史を見つけるのも
旅の楽しみです。 妻の油絵もご覧下さい。

「伝承園」 (佐々木喜善の短い生涯)

2008年03月23日 | 東北地方の旅
遠野市土淵町の伝承園を見学させて頂きました。



「伝承園」の入場券(裏表)です。
上段は、券の表で、オシラサマのイメージをデザインしたようです。
下段は、伝承園の入り口の写真です。



「伝承園」の入り口付近にあった園内の案内図です。



「佐々木喜善記念館」です。
玄関脇に銅像がありましたが、少し写真のイメージと違う感じです。



「佐々木喜善記念館」の玄関にあったパネルです。
遠野物語誕生のシーンではないかと思います。
パネルの三人は、右から「柳田国男」「水野葉舟」「佐々木喜善」と書かれてあるようです。



「柳田国男」の写真です。
「佐々木喜善」が遠野物語を自分で書いていたら今日の「柳田国男」の存在はかなり変わったものと思われます。



佐々木喜善の生い立ちです。



佐々木喜善です。
青春時代の頃でしょうか。

その後、村長になった佐々木喜善は、自分・家族の病気、経済的な困窮、新しい村づくりの挫折などで、仙台へ移ったそうです。
「河北新報」で連載小説の場や、仙台NHKではラジオ放送での土俗講座などの場が与えられ、東北民族の体系化を試みた研究誌「民間伝承」を発刊した直後、48歳で生涯を閉じてしまったようです。
詳しくは分かりませんが、大きな希望を抱き、その結果、挫折を繰り返す人生だったのではないかと、勝手な想像をして同情してしまいました。



「伝承園」にある曲り家「旧菊池家住宅」です。
この家には「南部曲り家」の文化が生まれる過程が残っているそうです。

■説明板を転記します。
国指定重要文化財「旧菊池家住宅」
指定  昭和51年2月3日
所在地 遠野市土渕町第六地割五番三
この住宅は、市内小友町高木から移築した南部曲り家の一つです。この地方(旧南部藩領)は県内でも南部曲り家が数多く分布していた地域で、なかでもこの住宅は、遠野の代表的な曲り家の形式を残しています。建てられたのは十八世紀前半と推定されています。
当初は直ご家(すごや=曲り家の部分がない家)として建てられました。
その後、台所部分が拡張され、8.1mに18mの母屋となり、7.2mに8.1mの馬屋が付け加えられ、曲り家の形になりました。
おのや、ちょうな削りの桂を使った開口部(窓など)の少ない閉鎖的なつくり、火打梁をかけた古い例、それに直ご家から曲り家へ変わっていった過程などを知る上で貴重な構造を数多く残しています。


台所の拡張、うまやの拡張と、二回の増築で建物が変化したようです。


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