昔に出会う旅

歴史好きの人生は、昔に出会う旅。
何気ないものに意外な歴史を見つけるのも
旅の楽しみです。 妻の油絵もご覧下さい。

遠野「福泉寺」で見た「早池峰山妙泉寺」再興の夢

2008年03月20日 | 東北地方の旅
「遠野ふるさと村」の帰り、観光案内地図に載っていた「福泉寺」に立ち寄りました。



福泉寺の拝観受付所付近にあった案内図です。
下中央の道から第1駐車場、第2駐車場と進んでいきます。

駐車場付近を足早に拝観させて頂き、右上の「五重塔」「毘沙門堂」「白衣観音」などは時間の関係で省略してしまいました。



受付で頂いたパンフレットです。
下から仰ぐ「五重の塔」と、水平方向から眺める「五重の塔」の2枚の写真が表紙を飾っています。
ご住職の「五重の塔」に対する思い入れが感じられます。
水平方向から撮った「五重塔」は、建物の美しさがストレートに感じられ、屋根の面の美しいカーブがとても印象的です。

第2駐車場の上にある大観音堂から少し小さく見える「五重塔」を眺めましたが、今思えばこの角度で眺められなかったことが残念です。

案内図によるとお遍路さんでおなじみの「四国八十八カ所」や、近畿から岐阜に跨る「西国三十三番霊場」を模したミニ霊場めぐりがあるようです。



一番上にある第2駐車場から「大観音堂」へ石段を上がっていきました。
左右に狛犬が見えてきました。



「大観音堂」の正面にある石段脇に立派な台座に乗った狛犬がありました。
口の開け方と、目がとても可愛い狛犬で、子犬が吠えているようにも見えます。



狛犬や、仁王さんは、向って右の口が開いている方を阿形、向って左の口が閉じている方を吽形といいます。



「大観音堂」です。
前にベンチがあり、おばあさんが座っていました。



「大観音堂」の軒下の彫刻が素晴らしく、写真を拡大してみました。



横から撮った「大観音堂」です。
この建物の感じは、神社でよく見られる「権現造り」に似ています。



「大観音堂」前から見上げた多宝塔です。
風格のある素晴らしい建物です。



緑の屋根の「福泉寺」本堂が見えてきました。

「福泉寺」ホームページにあった由緒の概要です。
明治維新政府から布告された「神仏分離令」と、「廃仏毀釈」運動により「早池峰山妙泉寺」から「早池峰神社」に改宗されことから「法門山福泉寺」開山の物語が始まるようです。
初代住職の祖父「佐々木紋右衛」は、当時、妙泉寺檀家信徒総代で、「妙泉寺」の再興を強く願っていたそうです。
祖父の意思を継いだ「佐々木宥尊師」(当時は佐々木源吉)は、仏門に入り厳しい修行の上、1912年(大正元年)8月、法門山福泉寺を開山されたそうです。



「福泉寺」本堂にお参りしました。
今や6万坪の敷地にたくさんの仏教施設がある「福泉寺」もこの本堂から始まり、初代住職が祖父から引き継いだ「早池峰山妙泉寺」復興の夢は実現したようです。

明治維新の混乱した時代におこった一部民衆の「廃仏毀釈」運動により、多くの仏教施設が破壊されたそうです。
奈良時代、聖武天皇が、東大寺大仏の前で「三宝(もほとけ)の奴と仕へ奉・・・」と言われ、天皇自ら熱心に仏教に帰依した時代もありました。

2001年アフガニスタンの国宝だったバーミヤンの巨大な石仏が、厳格なイスラム原理主義を唱えるタリバンによって爆破された事件がありましたが、明治維新後の日本で全国的におこった「廃仏毀釈」では、バーミヤン以上の破壊があったものと思われます。

バーミヤンの遺跡も、日本をはじめとして世界的な支援で修復が始まっているようですが、私たちもこのような事件が二度とおきないよう改めて「廃仏毀釈」の歴史を学ぶ必要があると思います。



出口付近にあった「仁王門」です。
時間がなく、残念ながら裏側の仁王さんを見ずに帰りました。


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