昔に出会う旅

歴史好きの人生は、昔に出会う旅。
何気ないものに意外な歴史を見つけるのも
旅の楽しみです。 妻の油絵もご覧下さい。

遠野市小友町の「巌龍神社」

2008年04月03日 | 東北地方の旅
昨年10月8日朝、遠野市の民宿を出発して小友町の「巌龍神社」へ行きました。
「巌龍神社」は、遠野市内から国道283号線を西に向い、鱒沢から国道107号線を南に約4Kmの場所にあります。



「巌龍神社」は、巨大な石塔のように岩肌がむき出している「不動巌」を背にして建つ神社で、小友川に架かる赤い欄干の橋を渡り参拝します。
高さ54mの「不動巌」の周りに紅葉が始まっていました。


■参道に神社の案内板があったので転記します。
「巌龍神社」
巌龍神社創建の時代は、不明であるが、当村常楽寺の開祖無門和尚が、同寺の鎮守として、不動明王を勧進し巌龍山大聖寺として祀ったといわれ、往時は背後の奇巌(不動巌)をもって神霊とし羽黒修験源龍院が、別当職となり、六代善蔵院が元禄年間拝殿を建立するも大正七年火災により焼失する。
祭典は明暦年代に旧暦9月28日といわれているが、後に数回変更され現在8月第4土曜日と日曜日の2日間行われている。
源龍院8代の本興は、文化六年本殿を建立し不動尊の仏体を安置し、巌瀧(いわたき)神社と称し、文化八年には神輿堂を置きその後も巌瀧(いわたき)神社として源龍院の子孫が別当職を務める。
明治五年神仏混淆禁止令により祭神を日本武尊に改め巌龍神社と称し村社に昇格する。
昭和二十七年から神社庁発令により宮司制となり現在に至る。 遠野市



観光案内のサイトで「巌龍神社」には、「裸参り」の伝統行事があることが案内されていました。
最も寒い季節に裸で参加する人は、かなりの覚悟がいるものと想像します。

■境内にその案内板があり、転記します。
「小友町裸参り」(おともちょうはだかまいり)
遠野市指定文化財(無形民俗文化財)  指定昭和59年4月20日

小友町裸参りの起源は明らかではないが、修験者源龍院仙林(?~1727)が巌龍神社の別当を勤めていた時に不動講を結び、元禄年間(1688~1704)に拝殿を造営した翌年の初不動の日(1月28日)に不動講の数名を名代として裸参りを行ったのがはじまりと伝えられている。
裸参りは、不動講を中心として伝承され、古くは旧1月28日に行われていた。講中から当番の宿が選ばれ、次のような次第で行われたと言われている。
一、代表の者が神前で鈴を受け取り、振りながら宿に行く。
二、参拝者は宿に集まり身支度を整え、一列となって神社に赴く。
三、神社のそばの清水にて身を清めて礼拝し、鈴振りを先頭に待ちを歩き、長野川に至りて更に身を清め神社に戻る。これを三回繰り返す。
四、行事を終えた後、宿に集まり講中と共に酒肴を交わしながら年間行事や農事などの相談を行う。
現在では二月二八日に行われ、腰に注連(しめなわ)をしめ、頭に鉢巻をまき、草鞋(ぞうり)履きに口に護符をくわえた褌姿の男達が、神社の大鈴をもった厄男(42歳)を先頭に一列となって、各々手に「ぼんぼり」をもち、神社と上宿橋のそばの大般若供養塔の間を三往復して五穀豊穣・無病息災などを祈願する。
このような行事は遠野市内では他に例がなく、貴重な民族行事である。
遠野市教育委員会



神社側から橋と、小友の街を見た景色です。
小友地域は、江戸時代に数ヶ所の金山が開発され、藩の財政をうるおし、多くの労働者が集まり、大変繁栄した歴史があったようです。
小友の街は、周辺の金山に関係する人々の宿場町として賑わっていたと思われます。

遠野市のホームページ「ふるさと遠野」に江戸時代初期の岩手県の金山について書かれています。
岩手県では多くの金山が開発され、江戸時代初期には全国有数の金産出量を誇ったようです。



「巌龍神社」を正面から見た景色です。
「巌龍神社」は、遠野の観光スポットしては、ややマイナーな感じですが、正面の山に見える「不動巌」は、岩手三景のひとつとされた歴史があったようです。

■境内の案内板に長い案内文があり、苦労して転記しました。
「岩手三景 不動巌」
巌龍神社の背後の奇巌を不動巌と云います。大正十三年時の小友村長奥友信氏時代に、岩手日報社の県内三景十勝募集の企画に応募しましたところ次の三ヶ所が入選しました。
一、不動巌(遠野市小友町)
一、不動滝(二戸郡安代町)
一、玄武洞(岩手郡零石町)
小友村では同年九月三日、その入選報告祭が、巌龍神社に於いて盛会に取り行われ、不動巌の頂上からは国旗や提灯を吊り下げるなど里神楽、獅子舞等の奉納が乱舞し夜になっては小学校生徒、男女青年団員の提灯行列が夜の更けるのも忘れての業には村民はもとより近郷近在の見物客の人出で大変な賑いを極めたと記されております。
又、その後昭和25年十月十日日本国有鉄道釜石線全線開通を記念して再び岩手日報社の日本百景の募集ににも又々その選に入り、今尚雄大な不動巌が景勝地として多くの探訪者で賑っております。
不動巌は巌龍神社の背後にあって、直立して地を抜くかのように高さ五十四メートルで正に天を突くような偉容であります。
そして老松が點生し四季の風景格別なものがあり、その巌根に清水の湧出する池があって是れを昔から神水と命名しております。尚又池の中には嶋があって不動尊を祀っており、老樹が繁茂して一層の景を添えております。
又巌面には龍の昇降するような形状を呈していて、神社の背後にあるものを降り龍、西方小友川の淵の上にあるものを昇り龍と云ってその偉観の雄大さに観る人をして驚かしむるものであります。
 岩手三景不動巌
  仰ぎ見る不動の巌や風薫る
   巌龍神社社務所



「巌龍神社」の拝殿です。
この拝殿は、1809(文化6年)に建立されたそうです。
神社は、拝殿の後ろに本殿があるのが一般的ですが、拝殿の後ろには「不動巌(ふどういわ)」がそびえており、山や、岩をご神体とする古代信仰を思い浮かべます。
「巌龍神社」のルーツは、江戸時代に開山された「巌龍山大聖寺」と言われ、「巌龍」の名は、高くそびえる岩(巌)に龍を感じた名称のようです。


拝殿前の左右の狛犬です。
恐そうな目と、口の中が赤く塗られているのが印象的でした。



拝殿で参拝した後、上を見上げて撮った写真です。
写真の上の両端に牙のある動物の彫刻がありました。
向って右は口を開けている顔を見ると、どうも狛犬を彫ったものと思われます。
漫画に出てくるオバケのような顔にも見えます。



拝殿右前から見上げた写真です。
狛犬のような像の隣に鼻の長い木造の象さんがありました。
この象さんは、お隣の狛犬?さんも参道にある石の狛犬と同じように口の中が赤色く塗られています。
このような象は、寺院で多く見られるものです。。


拝殿の板壁に小さな「剣」が貼り付けられていました。
不動尊が手にしている剣に関連して奉納されたものと思われます。



拝殿の前から見上げた「不動巌(ふどういわ)」です。
巌の中心に地層のような縦縞があり、龍のイメージにつながったのでしょうか。



相撲の土俵と屋根が作られていました。
東北地方は、昔からお相撲さんを多く輩出した土地だけにこんな立派な土俵が造られているのかと感心しました。
どんな相撲大会があるのでしょうか?



神社に向かって左の境内の端から見た小友川の風景です。
「不動巌」から続く川沿いの山裾は、絶壁の岩山になっています。
神社の裏でも小友川の流れで岩山の裾が削り込まれていました。
長い時間の中で、小友川の流れが雄大な「不動巌」の景観を造ったことが伺えます。


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