光山鉄道管理局・アーカイブス

鉄道模型・レイアウトについて工作・増備・思うことなどをば。
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鉄道模型の「作ること」で思うこと

2012-05-18 06:55:17 | 思いつくままに・考察
今回は先日のマイクロの新カタログを見ていてふと感じたことから。

 マイクロに限らず、最近のNのラインナップの充実度はものすごいものがあります。
 これだけラインナップが充実しすぎると欲しい編成がすぐ製品化されてしまい「作る楽しみ・喜び」を感じなくなるのではないかという論をよく耳にします。
 実際私もそうした危惧を感じないではないのですが、その一方で「作る」という行為に対する誤解もあるのではないかとも思えます。

 最近良く目にする「なければ作る」というのは耳触りは良いですし、説得力もあります。
 ですがそれは裏を返せば「あったら作らない」と言う事でもあります。それではこの世界に関して工作と言う行為は単なる「隙間探し」と変わらなくなるのではないでしょうか。
(じつはこれは鉄道模型に限らず最近の「モノ作り」衰退の遠因のひとつではないかと私自身は考えています。隙間探しばかりでは骨太な思想は育たないと思いますし)

 実はこの論は私のオリジナルではありません。
 40年以上前、TOMIXやユニトラックなど影も形もなかった頃(当然16番・HO中心だった時期)のTMSのミキストの論でもあるのです。

 と同時に当時の有名なレイアウト本の記事で「○○号の編成は何度か自作に挑戦しているのですがなかなか思う様なものができません。こうなってくると『××社の●●系と言う立派な完成品があるのにも拘らず○○号はどうしても自作でとこだわる有様です』いつの日かその思いは達成されるものと思います」という一節があり、こういうのが「趣味としての工作の本質のひとつ」ではないかとも思えていました。

 ですがここで論じられていた事は今でも立派に通用するジレンマと思います。

 私個人、共感する所も多い論でしたが「なければ作る」よりも「あっても作る」と言うのが「趣味としての工作」の本質のひとつではないかと思います。
 そう思えばこれだけの新製品洪水の中にあっても自分を見失わないで済むのではないかと。

 製品より上手く作れればそれに越したことはないのですが、そうでなくとも「自分で作った」という達成感にプライオリティを置く方向はありだと思います。
 つまり「出来の悪い子ほど可愛い」引いては私自身の下手な技量に対する言い訳を再び開陳する事になりますが(超大汗)

(写真は本題とは関係ありません)

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