武産通信

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閑院宮邸跡

2008年07月11日 | Weblog
 京都御苑の西南角にある閑院宮(かんいんのみや)邸跡を訪れる。京都御苑は、むかし御所を囲んで二百からの宮家や公家の邸宅が立ち並ぶ公家町であった。閑院宮邸跡は、江戸時代から続いた閑院宮家の屋敷跡で、創建当初の建物は、1788年の天明の大火で焼失したが、その後再建されている。ただ、この建物を管理する環境省によると、現在の建物との関係など詳しいことはわからないという。
 明治2年、明治天皇に従い閑院宮が東京に移ってからは、華族会館や裁判所として一時使用された。第2次世界大戦後の昭和24年、京都御苑が公園となってからは、京都御苑管理事務所などに使用される。そして、平成18年に修復工事を終え、建物と庭園を一般公開している。
 閑院宮家は、伏見宮家、桂宮家、有栖川宮家と並ぶ四親王家の一つで、1710年に113代東山天皇の皇子、直仁親王を初代として創立される。そして、3代閑院宮家が119代光格天皇になり、仁孝天皇、孝明天皇、122代の明治天皇、大正天皇、昭和天皇、125代の今上天皇に及ぶ。
 明治天皇の3代前にあたる光格天皇は、118代の後桃園天皇に男子がいなかったので、閑院宮家から入られた方である。だから、今の天皇家の祖は閑院宮家であり、今の天皇家は、閑院宮家の血統である。
 天皇家ゆかりの四親王家は、閑院宮家は皇室離脱のあと昭和63年に断絶、有栖川宮家は大正2年に断絶、桂宮家も明治14年に断絶、伏見宮家だけが皇室は離脱しているが現在も存続している。
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