goo blog サービス終了のお知らせ 

武産通信

東山三十六峰 月を賞で 雪を楽しみ 花に酔う

奥の細道(4)  那須野

2009年06月14日 | Weblog
  柿衛本 「おくのほそ道」  那須野

那須の黒はねと云(いう)所に知人(しるひと)あれば  是より野越(のこえ)にかゝりて直道(すぐみち)を

ゆかんとす。遥(はるか)に一村を見かけて  行に雨降日くるゝ。農夫の家

に一夜をかりて明れば又野  中(のなか)を行。そこに野飼の馬あり。

草刈をのこになけきよれば  野夫(やふ)といへどもさすかに情しらぬに

はあらず。いかゝすべきや。されども此(この)  野は縱横にわかれてうゐうゐ敷(しき)

旅人の道ふみたかへん、あやしう侍  れば、此馬(このうま)のとゞまる所にて馬を

返し給へとかし侍(はべり)ぬ。ちいさきもの  二人馬の跡したひてはしる。ひとりは

小姫(こひめ)にて名をかさねといふ。きゝ  なれぬ名のやさしかりければ

  かさねとは八重撫子のなゝるべし  曾良

やかて人さとに至れば、あたひを  鞍つぼにすむ(むす)びつけて馬を返ぬ。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

奥の細道(3)  日光

2009年06月07日 | Weblog
  柿衛本 「おくのほそ道」  日光

丗日(みそか)日光山のふもとに泊る。あるじの  いひけるやう吾名を佛五ざへもん

といふ。万(よろず)正直を旨とするゆへに  人かくは申侍(はべる)まゝ一夜の草の枕も

うち解(とけ)てやすみ給へと云。いかなる  仏の濁世塵土(じんど)に示現してかゝる

桑門(そうもん)の乞食順礼ごときの人をた  すけ給ふにやとあるじのなす事

に心をとヾめてみるにたヾ無智  無分別にして正直偏固のもの也。

剛毅木訥(ぼくとつ)の仁にちかきたぐひ  気稟(きひん)の清質尤(もっとも)尊ふべし。

卯月一日御山(おやま)に詣拝(けいはい)す。往昔(そのかみ)  此(この)御山を二荒山(にこうざん)と書しを空海

大師開基のとき日光と改め給ふ。  千歳(せんざい)未来を悟(さとり)給ふにや今この

御光(みひかり)一天にかゞやきて恩沢(おんたく)八荒(はっこう)  にあふれ四民の安堵(あんど)のすみか

穏(おだやか)なり。猶(なお)はゞかりおほくて筆を  さしをきぬ。

  あらたうと青葉わかばの日の光  (あらたうと あおばわかばの ひのひかり)

黒髮山(くろかみやま)は霞かゝりて雪いまだ白し。

  剃捨て黒かみ山に衣更かへ  曾良

曾良は河合氏にして惣五郎と  いふ。ばせをの下ばに軒をならべて

予が薪水(しんすい)の労をたすく。此度  松しまきさかたの眺めともにせん事

をよろこび、且(かつ)は羈旅(きりょ)の難(なん)をいたはらん  と旅立暁(あかつき)髪を剃て墨そめに

さまを替(かえ)て惣五を改て宗悟とす。  仍(よっ)て黒かみ山の句あり。衣更の

二字力(ちから)ありて聞ゆ。

廿余丁(にじゅうよちょう)山を登て瀧有。岩洞(がんとう)の  頂より飛流(ひりゅう)して百尺千岩(はくせきせんがん)の碧

潭(へきたん)に落ちたり。岩窟に身をひ  そめ入て瀧うらよりみれば裏み

の瀧と申伝え侍る也。

  しばらくは瀧にこもるや夏の初  (しばらくは たきにこもるや げのはじめ)


あらとうと句:ああ、この青葉若葉に降りそそぐ燦々たる日の光よ

しばらくは句:裏見の滝の裏の岩屋にいて暫く時を過ごすのも夏籠(げごも)りの初めとしてである。

写真:森川許六画「奥の細道行脚之図」/許六(きょりく)は彦根藩の武士で狩野派の絵画に秀でる。本画像は芭蕉生前の作品として最も真を伝えたものといえる。芭蕉の身長は約150㎝、顔は面長で鉤鼻、どんぐり眼で目の下が弛んでいる。そして曾良はがっしりした体躯である。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする