武産通信

東山三十六峰 月を賞で 雪を楽しみ 花に酔う

木戸高保先生

2017年01月13日 | Weblog
                                 剣道範士八段 木戸高保先生


                                一剣に托す生涯寒の汗   京旦


                                      祝 武産道場開

                                爽やかに神武ことほぐ心意氣   京旦


 木戸高保(きど たかやす)先生  剣道範士八段
大正7年3月31日生
昭和28年〜昭和52年 兵庫県警察奉職(教師、師範、副主任師範、主任師範を歴任)
               退職後は、京都府剣道連盟理事長、全日本剣道連盟常任理事等を歴任
昭和41年〜昭和55年 近畿大学師範
昭和59年 『全日本武徳会武道専門学校史』出版
昭和62年 『旧武徳殿修復工事』及び「武道専門学校記念碑」建碑に尽力
平成8年1月逝去
                       (近畿大学体育会剣道部HPより転載させていただきました)

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言 霊(ことたま)

2017年01月12日 | Weblog
【道 歌】

                                 己が身にひそめる敵をエイと切りヤアと物皆イエイと導け

                                 おのがみに ひそめるてきを エイときり ヤアとものみな イエイとみちびけ

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植芝盛平語録(2)

2017年01月03日 | Weblog
 【合気道開祖 植芝盛平語録】

 一霊四魂三元八力                    

 一霊四魂三元八力の大元霊が、一つの大神の御姿である。大神は、一つであり宇宙に満ちみて生ける無限大の弥栄である。即ち天なく地なく宇宙もなく大虚空宇宙である。その大虚空に、ある時ポチひとつ忽然として現る。このポチこそ宇宙万有の根源なのである。そこで始めゆげ、けむり、きりよりも微細なる神明の気を放射して円形の圏を描き、ポチを包みて、始めてスの言霊が生まれた。
 これが宇宙の最初、霊界の初めであります。そこで宇大は、自然と呼吸を始めた。神典には、数百億万年の昔とあります。そして、常在(すみきり)すみきらいつつ即ち一杯に呼吸しつつ成長してゆく。ゆくにしたがって声がでたのである。言霊がはじまったのである。キリストが「はじめに言葉ありき」といったその言葉がそれで、その言霊がスであります、これが言霊の始まりである。
 このス声は、西洋にはこれに当てる字はなく、日本のみにある声である。これが成長してス、ス即ち上下左右のス声となり丸く円形に大きく結ばれていって呼吸をはじめるのである。
 ス声が成長して、スーとウ声に変わってウ声が生まれる。絶え間ないスの働きによってウの言霊が生じるのである。
 ウは霊魂のもと物質のもとであります言霊が二つにわかれて働きかける。みたまは両方をそなえている。一つは上に巡ってア声が生まれ、下に大地に降ってオの言霊が生まれるのである。上にア下にオ声と対照で気を結び、そこに引力が発生するのである。
 高天原というのは、宇宙の姿である。宇大の生きた経綸の姿、神つまります経綸の姿なのである
一家族も一個人もそれぞれ高天原であり、そして呼吸して生々と生きているのである。
 高天原とは一口でいえば、全く至大天球成就おわるということになる。これ増加開闢の極元なり。高天原の意をより理解して、神の分身分業をなしてゆくところに合気道ができるのである。
 宇宙の気、於能碁呂島の気、森羅万象の気、すべての霊素の道をつづめて、そして呼吸を合わせて、その線を法則のようにして、万有の天の使命を果させるのである。そしてその道それぞれについて行うところの大道を合気道という。
 合気道とは、いいかえれば、万有万身の条理を明示するところの神示であらねばならないのである。過去ー現在ー未来は宇宙生命の変化の道筋で、すべて自己の体内にある。これらをすみ清めつつ顕幽神三界と和合して守り、行ってゆくものが合気道であります。
 宇大の活動の根源として七十五声がある。その一つ一つには三つのキソクがある。イクムスビ(△)タルムスビ(〇)タマツメムスビ(口)である。
 八力がアオウエイの姿であり、国祖国常立命の御心のあらわれである。豊雲野大神との交流により五つの神の働きが現れるのである。かくて八大引力が対照交流し動くとき軽くすめるものは天に昇り、にごれるものよごれものは下へ地へ降った。天と地が交流するたびに、物化して下降、交流しては下降しだんだん大地化してきた。これがタマツメムスビの大神の神業である。イクムスビ、タルムスビ、タマツメムスビの三元がととのうと、宇宙全体の姿が出来上がるのである。
 合気とは、言霊の妙用であります。言霊の妙用は一霊四魂三元八力の分霊分身であります。

史料:植芝盛平文「合気道新聞」合気会版

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植芝盛平語録

2017年01月02日 | Weblog
 【合気道開祖 植芝盛平語録】

 日本武道に就いて

 各地の武術道場へ参りまして見ますのに、神様のお祀りしてある道場は甚だ少ない。とくに学校等で殆んど全てが神様をお祀りしていないのであります。現代の人々はただ身体を動かすことによって武道を体得し、武術を修練することができると思っているようであります。かかる精神によって指導されて、汗を流して一生懸命に武術の稽古をしている人々を見ます時に、私は一種いうことのできない哀愁と重大なる責任を感ずるのであります。
 道場とは読んで字の如く道の修業場であります。今日の道場はむしろ工場といった方が適当のように思われます。
 人は刀によって切られる前に先ず切尖より迸る殺気によって切られるのであります。
 例えば少し剣道に達してくると刀を振り下ろして来る敵の意志相念は時間空間を超越してこちらへ直感できるものであります。また私が両三度経験したことは、ピストルの弾丸等も実弾が発射する前に約一寸位の白色の想念の弾丸がシュツと音をは発して飛んでくるのであります。
 しかし真の武道からいいますと敵の行動を単に予見するのはまだ至らざるものでありまして、敵を自分の意志の通りに働かす力、即ち一切を自己の内に抱含する力量が備わってきてこそ誠の神の道を宣揚することができるのであります。
 これは武道に関する霊的体験の一端でありますが、今日の武術家にして神を敬い、霊体一致の修業を必要とする点に覚醒されたならば、その心境は自ら驚嘆されるものがあろうと思うのであります。 

史料:植芝守高(盛平)文「武道」武道宣揚会版

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