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武産通信

東山三十六峰 月を賞で 雪を楽しみ 花に酔う

教外別伝

2009年03月26日 | Weblog
 兵庫県のある合気道団体のホームページにこのような一文が載せられていた。

 学生時代、私の所属していた立命舘大学へは大阪合気会の田中万川という師範が指導に来られていました。その師範の指導の下での練習は、今から思えば単に合氣道の型の反復練習に過ぎなかったように感じます。(原文のまま)

 いささか閉口する文言である。古人の言によれば「師は其の事を伝へ其の理を教ゆるのみ其の真を得るは吾に在り」と言っているが察するところ、この君は形ばかり習って、真なるものを体得しなかったのではないか。田中万川師範の練習が型の反復練習に過ぎなかったと述べているのは自らの未熟さを弁明するものでしかない。
 これを古人は「智として知りたりとも身に覚へざれば得たりとは言い難し心得て然も行ひ得ぬを不覚の者と云う」と言っている。所謂、禅家の『教外別伝(きょうげべつでん)』というのである。禅家の教外別伝、俗にいう以心伝心であり、これが欠けては百年学ぶも合気道の真理は得られまい。

写真:合気道開祖植芝盛平

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戦前の合気道(4)

2009年03月22日 | Weblog
 合気道開祖植芝盛平の戦前の弟子である田中万川師範は「大先生が木剣の素振りを始められると、その気合で足がすくんで近づくことが出来なかった」と話されていた。
 気合は相手の心に動揺を与えるにあり、気合一声をもって相手を一飲みにする。気合の一声は音感のヒビキとなり、波となって感応し、山彦となってかえり咲く如くなすのである。そして、気合によって相手を我がものの自由となし、気合によって体内にヒビキを与え正道なる道を開くのである。また、気合一声により先々の空の頂点に恵みを与え、気合によって相手の呼吸に合することを得る。但し、気合は呼吸のみだれぬよう注意することが肝要である。
 相手と接する瞬間に一切の煩悩を断絶し、捨身となり得る唯一の方法が気合である。裂帛一声の掛声、大喝一声わが精神を統一し、凛々たる勇気が湧いてきて力は実力を倍加するという。
 開祖に24年間仕えられた岩間の斉藤守弘師範が「気合がない、呼吸力(ちから)がないでは、情けない」と言われたのを思い出す。

 中国の兵法家、孫子曰く「百たび戦いて百たび勝つは、善の善なるものにあらざるなり、戦わずして人の兵を屈するは、善の善なるものなり」と。 

 気合術とは、自己の精神で相手の精神を制圧する以心撃心(心をもって心をうつ)を実行する手段をいうのである。詳しくいえば、全精神、全精力を一点に集中して、いわゆる無念無想の境地でよく虚実を察し、阿吽の呼吸を合わせて、絶対勝の信念のもとに敵の心身を制圧して殺活自在の境地に到る言動が、即ち気合術である。
 人がある目的をもってこれを完徹するために全力を傾倒する時の、凄い意気込み、精神気迫がいわゆる気合で、これを実行に移すことが気合術である。気合とは、元来、武術所産の言葉であり、いかなる武術もその根幹は気合であり、秘伝も奥儀も気合抜きでは考えられず、すべてが気合の術に尽きる。

<閑話休題>

 正木段之進は美濃大垣の武士で、幼少より剣技に優れたり。一夜寝間の戸を鼠が噛む、目覚めて追えば逃げ、寝ればまた来りて噛む。追うこと四、五回にして段之進思う「わが気合満たずして彼の鼠に徹せざるが故なり」さらばぞと起き直り、坐を正して一心に気を集めて鼠の方を向きて気力を構える。鼠ついに来たらず。その後、鼠の出る度にかくの如くす。後には、梁を渡る鼠に気を込めてこれを睨めば、鼠落ちるに到れり。今に到るもその門人、気を練ることを稽古し、うち二、三の者はよく鼠を落す者ありという。即ち、敵人に対しても立合うより先に気をもって制すること肝要なり。 (橘南難「東遊記」)

資料:田中万川「合氣道神髄」/小西康裕「空手入門」魚住書店
写真:植芝盛平「武道」昭和13年

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戦前の合気道(3)

2009年03月15日 | Weblog
 空手が剛術であれば合気道はまさに柔術というべきであろうか。植芝先生演ずる合気道を見る者は、恐らく度量の狭い人や頑固な独善者でない限り、空手と合気の一体化を希望することと思われる。まことに学ぶべき多くの美点と長所を合気道は持っているということが出来る。

 合気道では丸く、円くとあたかも水の流れるように、決してとどこうらず、こだわらず、ひっかかったり、つまったりしないで、すらすらと進退しなければならぬと教えている。黄色い菜の花の上を、蜜を求めてひらひらと飛び舞う胡蝶のように、何のこだわりもなく、すらりすらりと円転滑脱な姿態の植芝先生の演武を見学しておると、よくもあんなに動けるものかなと、その軽い体捌きと盤上を転ぶ玉の如き軽妙な足捌き、あれが老齢の植芝先生の本態かと今更のように見直すことは屡(しばしば)である。

 更に、合気道では特定された型というものはないけれど、変化自在に即ち水は方円の器に従って変わるように、所謂敵の出ようによって転化する形となるのである。

 特に、合気道が敵なく、味方なく、ただ渾然一体の和があるのみとする、平和、大愛こそ極意であるとし、また理想としてその絶対性を強調する。合気武道は神の道たる大自然の摂理にかなう愛の教えであり、戦わずして勝つことの理想をもって奥儀としているのである。

資料:小西康裕「空手入門」魚住書店
写真:植芝盛平「武道」本文/昭和13年

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浅野温子 語り舞台「日本神話への誘い」京都公演

2009年03月12日 | Weblog
○5月6日(水/休)  平野神社  京都市北区平野宮本町

 時 間  ①16:00  ②19:00  2回公演
 
 鑑賞料  前売 2500円 

 平野神社公演の申込み  TEL 075-461-4450

○浅野温子さんに聞く 「日本神話への誘い」

 舞台を拝見して、古事記はこんなにも情感あふれる世界だったんだと感銘いたしました。改めて古事記の魅力とは?

 やはり、日本人が創った物語ですから、入りやすいですね。まず第一に、日本人の情というか、私たちの琴線に触れるものがぎっしり詰まっている。おおらかさと厳しさ、情の深さと勇敢さ、人だけでなく動物、一木一草に至るまで愛でる情愛の深さ等々。これこそ日本が古来より持ち続けてきた財産なのではないでしょうか。古事記に登場する神々は、喜怒哀楽が豊かで、相手を愛することに熱烈です。そこには、親子や兄弟、あるいは夫婦の情愛がある。そういう強い絆で結ばれています。
 第二は、人間の不完全さと復活力というものを教えてくれていると思います。古事記の神々は、決して完璧ではなく、ときに間違いを犯すけれども、そこから立ち直る強さを持っています。例えば、伊邪那岐(いざなぎ)・伊邪那美(いざなみ)の夫婦の神様の物語。あれほど愛した妻の死を悲しんで黄泉の国に迎えに行った伊邪那岐命(みこと)でしたが、醜く変わり果てた妻の姿に驚き、逃げ帰ります。一方、黄泉の世界の掟を破ってまで夫に付いて行こうとした伊邪那美命は、夫の裏切りを嘆き追いかけます。どちらも素直な気持ちを言動にしたわけですが、そのように完璧でないけれども、大丈夫、それでいいんだというメッセージが込められているような気がするんです。
 そして、伊邪那岐命はその後、禊をして天照大御神をはじめ三貴神を生んで、いわば復活していますよね。あるいは、その三貴神の物語では、須佐之男命(すさのおのみこと)は、乱暴を働いて高天原から追放されてしまいますが、やがて八岐大蛇(やまたのおろち)を退治して神剣を天照大御神に献上します。これはたとえどん底に落ちても立派に立ち直る力のある民族が日本人であると伝えているのではないでしょうか。また、その陰には常に姉君、天照大御神の慈愛のまなざしがあります。
 人は完全でないから、情で支え合うんだと思います。自分も他人も完璧じゃないという認識は、やさしい気持ちを持つことにつながります。自分が完璧だと思い込むと相手の痛みが分からない。自分も弱かったり痛みを持っているからこそ相手を思いやり分かってあげられる。日本人はそういうやさしい民族だと思います。やさしさは他人との関係を円滑にする根本の心です。人の愛情を受け止めることのできる人は人に感謝することができる。日本人は愛することも愛されることも深くできる。そういうことを皆に思い出してもらいたいし、そういう民族なのよということを子供たちに伝えていきたい。 (浅野温子公式ホームページ)

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戦前の合気道(2)

2009年03月08日 | Weblog
 合気道の植芝守高(盛平)先生は、武道界特異の存在である。先生は幼少の頃から膂力衆にすぐれ、しかも、あらゆる武術を稽古された現代稀にみる達士の人である。従って植芝先生の合気道を単一的なものではなく、各流武術の粋を集めた素晴らしい綜合武術であると賞賛する人もある位である。しかし、実はそれは誤りで、先生ご自身の口から、常日頃、自分の合気道は決して他流の粋を集めるといったいわゆる綜合武術ではないと、門下その他の人々に語っておられるのである。

 先生の合気道は、事実、不抜の信念と一種の霊感から生れた先生独自の創案で、しかも思議することのできない剛柔兼ね備えた精妙な武術である。その驚嘆すべき魅力は一抹の神秘性さえ漂わし、まさに他の追従を許さない植芝先生独特のものとして既に定評のあるところである。現にある武道師範などは「植芝のあとに、植芝なし」とまでに激賞しているのである。

 元来、合気道は当身が主であって、その上に形式から見ると、外見にあらわれるところは全く後先主義の、相手から攻撃があって防禦をし、攻撃に移るとか、または防禦と同時に攻撃をするように緩急いろいろである。決して相手から掛かって来ないのに自分の方から仕掛けてゆくというような事を好む好戦的な態度は、真の人間としてはとらぬ所だし、またそうすることは人道を乱す非礼な暴行であるとさえ断じ、平和を愛好する紳士、真の人間にとっては最も恥ずべき行為として厳しく戒めているのである。

 この威力ある決定的武術の称ある合気道は、後先主義をもって説明され、また稽古も行われている。勿論、形の上では後先に見える術技であっても、必ず先々の先の心構えで、咄嗟の場合にも、臨機応変、有効適切な処置が施される。攻撃されてから技を起す考えとなるのでは間髪を入れない精妙な術技ができる筈はなく、不確実であり、全く不安である。常に油断のない、虚のない心構えがあってこそできる「先手なし」である。

資料:小西康裕「空手入門」魚住書店
写真:植芝盛平「武道」表紙/昭和13年

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戦前の合気道(1)

2009年03月01日 | Weblog
 開祖植芝盛平は、生涯に「守高」と「常盛」の名を用いられた時期がある。それは大本から皇武館の頃にみられるが、その時代背景を窺えば、後の岩間へとつづく開祖の心的な変遷が浮かびあがる。

 各地の武術道場へ参りまして見ますのに、神様のお祀りしてある道場は甚だ少ない。とくに学校等で殆んど全てが神様をお祀りしていないのであります。現代の人々はただ身体を動かすことによって武道を体得し、武術を修練することができると思っているようであります。かかる精神によって指導されて、汗を流して一生懸命に武術の稽古をしている人々を見ます時に、私は一種いうことのできない哀愁と重大なる責任を感ずるのであります。
 道場とは読んで字の如く道の修業場であります。今日の道場はむしろ工場といった方が適当のように思われます。

 人は刀によって切られる前に先ず切尖(きっさき)より迸る殺気によって切られるのであります。
 例えば少し剣道に達してくると刀を振り下ろして来る敵の意志相念は時間空間を超越してこちらへ直感できるものであります。また私が両三度経験したことは、ピストルの弾丸等も実弾が発射する前に約一寸位の白色の想念の弾丸がシュツと音をは発して飛んでくるのであります。
 しかし真(まこと)の武道からいいますと敵の行動を単に予見するのはまだ至らざるものでありまして、敵を自分の意志の通りに働かす力、即ち一切を自己の内に抱含する力量が備わってきてこそ誠の神の道を宣揚(せんよう)することができるのであります。

 これは武道に関する霊的体験の一端でありますが、今日の武術家にして神を敬い、霊体一致の修業を必要とする点に覚醒されたならば、その心境は自ら驚嘆されるものがあろうと思うのであります。 (植芝守高文「武道」武道宣揚会版)

写真:合気道開祖植芝盛平

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