★『兼見卿記』にみる天正大地震
京都の吉田神社に伝わる「『兼見卿記(かねみきょうき)』という古文書に、天正13年(1586)11月29日に起きた天正大地震で「丹後若狭の海浜津波に襲わる」と、家が流され多くの死者が出たという記録が残されている。
吉田兼見は吉田神社の神主で神祇官。織田・豊臣政権の記事に詳しい。また、細川藤孝、明智光秀と関係が深く、本能寺の変前後の記述が注目される。原本は18冊からなるという。
また、ポルトガルの宣教師ルイス・フロイスが書いた『日本史』にも、天正大地震の記述の中に津波被害が記されている。
入夜大地震、昨夜之事囗
廿九日地震ニ壬生之當壊候、囗在家ユリ壊多死出候、丹後、若州、越州、浦辺波ヲ打上、在家悉押流、人死事不知数出候
夜に入り大地震、昨夜の事
29日、地震にて倒壊、在家揺れて壊れ死人多く出し、丹後、若州、越州、浦辺波を打ち上げ、在家悉く押し流され、人死ぬ事数知らず (史料:東京大学史料編纂所所蔵)
若狭の国には (中略) 海の近くに (中略) 大変大きな別の町があって (中略) 町全体が恐ろしいことに山と思われるほど大きな波浪に覆われてしまった。そして、その引き際に家屋も男女もさらっていってしまい、塩水の泡に覆われた土地以外には何も残らず、全員が海中で溺死した。 (ルイス・フロイス『日本史』)
京都の吉田神社に伝わる「『兼見卿記(かねみきょうき)』という古文書に、天正13年(1586)11月29日に起きた天正大地震で「丹後若狭の海浜津波に襲わる」と、家が流され多くの死者が出たという記録が残されている。
吉田兼見は吉田神社の神主で神祇官。織田・豊臣政権の記事に詳しい。また、細川藤孝、明智光秀と関係が深く、本能寺の変前後の記述が注目される。原本は18冊からなるという。
また、ポルトガルの宣教師ルイス・フロイスが書いた『日本史』にも、天正大地震の記述の中に津波被害が記されている。
入夜大地震、昨夜之事囗
廿九日地震ニ壬生之當壊候、囗在家ユリ壊多死出候、丹後、若州、越州、浦辺波ヲ打上、在家悉押流、人死事不知数出候
夜に入り大地震、昨夜の事
29日、地震にて倒壊、在家揺れて壊れ死人多く出し、丹後、若州、越州、浦辺波を打ち上げ、在家悉く押し流され、人死ぬ事数知らず (史料:東京大学史料編纂所所蔵)
若狭の国には (中略) 海の近くに (中略) 大変大きな別の町があって (中略) 町全体が恐ろしいことに山と思われるほど大きな波浪に覆われてしまった。そして、その引き際に家屋も男女もさらっていってしまい、塩水の泡に覆われた土地以外には何も残らず、全員が海中で溺死した。 (ルイス・フロイス『日本史』)