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武産通信

東山三十六峰 月を賞で 雪を楽しみ 花に酔う

奥の細道(15)  出羽越え

2009年11月29日 | Weblog
  柿衛本 「おくのほそ道」  出羽越え

あるじのいはく、是(これ)より出羽の国に  大山(おおやま)を隔(へだ)て、道さだかならず。道

しるべの人を契(ちぎり)て越(こゆ)べきよし  を申す。さらばとて、人をたのみ

侍れば、究竟(くっきょう)の若者反わき指(そりわきざし)  をよこたへ、樫(かし)の杖を携(たずさえ)て我

々が先に立て行。けふこそ、必あやうきめにもあふべき日なれと、  辛(から)き思ひをなして、後について

行。あるじの云にたがはず、高山(こうさん)  森々(しんしん)として一鳥声きかず、木

のした闇(やみ)しげりあひて、夜な行  がごとし、雲端(うんたん)に土ふる心地して、

篠(しの)の中ふみ分/\、水をわたり  岩につまづいて、肌につめたき

汗をながして、最上の庄にいづる。  かの案内せしもの云やう、この道

必(かならず)ず不用の事あり。恙(つつが)なうをくり  まいらせて仕合(しあわせ)したりとよろこび

てわかれぬ。あとに聞てさへ、胸  轟(とどろ)くのみ也。

尾花沢にて清風と云ものを尋  ぬ。かれは富るものなれ共、心ざし

賎(いや)しからず。都にも折々かよひて  さすがに旅の情をもしりたれば、

日比(ひごろ)とゞめて、長途の労(いたは)りさま/゛\  にもてなし侍る。

  凉しさを我がやとにしてねまる也  (すずしさを わがやどにして ねまるなり)
  
  這出てかいやが下の蟾の声  (はいいでて かいやがしたの ひきのこえ)

  蚕飼(こがひ)する人は古代の姿かな  曾良


凉しさを句:涼しさをわが宿のものとして、くつろぎ、気楽に過ごしているところである。

這出て句:どこかで、ひき蛙の鳴き声がする。蚕の飼屋(かいや)の床下にでもいるのであろうか。そんなところで鳴かないで、こっちへ出てきて鳴いたらいいのに。


・柿衛本にはない句

  まゆはきを俤にして紅粉の花  (まゆはきを おもかげにして べにのはな)

句:紅粉の花が一面に咲いている。それは、女性の化粧を連想させ、眉掃きを思い浮かべさせる。

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出雲大社遷宮

2009年11月28日 | Weblog
 柱は即ち高く太く、板は即ち広く厚くせむ

 奈良時代に完成した日本最古の正史「日本書紀」は、出雲大社の本殿をこう描写している。
 司馬遼太郎が初めて出雲の地に立ったのは、昭和35年(1960)の秋だった。本殿を仰ぎみた時の思いを「生きている出雲王朝」にこう書き残した。

 上古においては神殿の高さは三十二丈あったという。また、中古は十六丈、いまは八丈という(中略)。平安初期でもなお大仏殿より大きかったのである。古代国家にとって、これほどの大造営は、国力を傾けるほどのエネルギーを要したであろう。

 1千年を超える歴史のなかで本殿は再建や改修を重ねた。
 出雲人の旧暦で10月10日は物音をたてぬ決まりだ。年に一度、八百万(やおよろず)の神々を迎える神事の日、神迎えの道沿いの民家のあかりも消える。
 今年は11月26日、出雲大社の神職が、日が暮れた浜辺で、かがり火を前に祝詞を読みあげた。氏子ら数千人が神籬(ひもろぎ)とよばれる台座に神々がのりうつるのを息をひそめて見守る。

 「おーおー」

 神職が神籬を白い布で覆いながら朗々と警蹕(けいひつ)と呼ばれる声を発し、出雲大社へ神々を導く。
 本殿の大屋根は檜皮(ひわだ)の葺(ふ)き替え中だ。この間、神々は隣の拝殿にうつるため、工事を「遷宮」と呼ぶ。平成の遷宮は昨年始まり、平成28年(2016)に終わる。
 遷宮はおおむね60年に一度。明治の遷宮は幕末に持ちあがり、維新後、終わった。昭和の遷宮は戦前に練られ、戦後完成した。 (朝日新聞 2009年11月27日付朝刊)

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合気道技法(7)

2009年11月23日 | Weblog
 徒に多くの業を望まず一つ一つ自己のものとなすを要す。


七、座り業 両袖

受  両手で相手の両袖を持つ

仕  右手で面打ち左手で相手の右肘打って右で右手とり前方に打ち倒す

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奥の細道(14)  尿前の関

2009年11月22日 | Weblog
  柿衛本 「おくのほそ道」  尿前の関

南部道はるかにみやりて岩手  のさとに泊る。小黒崎、みづの小嶋

を過て、なるごのゆより尿前(しとまえ)の  関にかゝりて、出羽の国に越んと

す。此道旅人稀(まれ)なる所なれば  関守にあやしめられて、漸(ようよう)として

関をこす。大山(おおやま)をのぼつて日既(すでに)  くれければ、封人(ほうじん)の家をみかけて

やどりを求む。三日、風雨あれて  よしなき山中に逗留す。

  蚤虱馬の尿するまくらもと  (のみしらみ うまのばりする まくらもと)


句:一晩中、蚤や虱にせめられ、枕元では馬が小便するような旅の宿である。

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合気道技法(6)

2009年11月15日 | Weblog
 日々の練習に際しては先づ体の変更より始め遂次強度を高め身体に無理を生ぜしめざるを要す。然る時は如何なる老人と雖も身体に故障を生ずる事なく愉快に練習を続け鍛錬の目的を達する事を得べし。


六、座り業 袖

受  右手で相手の左袖摑む

仕  持つと同時に右で面打ち左へ寄って左で相手の左肘打倒す

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龍安寺立冬

2009年11月09日 | Weblog
 七日立冬の朝、八時の開門を待って龍安寺に参じ坐す。
 龍安寺は臨済宗妙心寺派に属し、大雲山と号す禅苑の名刹である。
 石段上正面の庫裡は、木組と白壁の調和が静寂の内に構成美をかもしだしている。
 方丈前の庭は、枯山水七五三の庭で、石庭とか虎児渡(とらのこわたし)の庭とよばれる。長方形の庭に白砂を敷きつめ、前方を低い塀で区切って、その白砂の中へ、十五個の石を点在させただけのものである。
 庭石は東から、五・二・三・二・三と並べてあるが、どの位置から見ても十四個しか数えられず、その布石の妙に感嘆する。また、この石庭は禅の悟りの境地の、△ ○ □ を表現したものという。

 桜の花とか、紅葉とか、季節的に発するものは、余りにあわただしくて且つ果敢ない。石は春夏秋冬にかかはらずして常在不易の光と力とを持っている。だから石は其を置くべき所に据える事がむつかしい。ただ土の上に置けば泰然としているやうなものの、其形、大きさに依って、また周囲の樹木や流水の調子に依って、其位置、其場所の宜しきを得せしめなければ、何となく落付かない。即ち動くといふ感じがあって悪いのである。真にその置くべき所を得せしめた石には安けさがあり、静けさがあり、品位がある。 (俳人・荻原井泉水「石」)

写真:龍安寺の蹲(つくばい)/「吾唯足知(ワレタダタルヲシル)」と読む。真中の口を四字に流用したものである。

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奥の細道(13)  平泉

2009年11月08日 | Weblog
  柿衛本 「おくのほそ道」  平泉

十二日、平和泉(ひらいづみ)と心ざし、あねはの松  緒(を)だえの橋など聞伝て、人跡(じんせき)稀(まれ)

に雉兎蒭蕘(ちとすうぜう)の行(ゆき)かふ道、そこ  ともわかず、終(つい)に道ふみたがえて

石の巻(まき)と云湊(みなと)に出づ。こがね花  さくとよみて奉りたる金花山、海

上に見渡し、数百の廻船入江につど  ひ、人家地をあらそひて竃(かまど)の煙

立わたりたちつゞきたり。思ひかけず  かゝる所に来たる哉と、宿からんと

すれど更にやどかす人なし。やう/\  貧しき小家(こいえ)に一夜あかして

明れば又しらぬ路まどひ行。  袖のわたり、尾ぶちの牧(まき)、まのゝかや原

などよそめにみて、はるかなるつゝみ  を行。心ほそき長沼にそふて

戸伊麻(といま)と云所に一宿(いっしゅく)して平和泉  に至る。其間廿四里ほどに覚ゆ。

三代の栄耀(えいよう)一睡の中にして、大門  のあとは一里こなたにあり。秀衡(ひでひら)が

跡は田野になりて、金鷄山(きんけいざん)のみ形  をのこす。先(まづ)、高館(たかだち)にのぼれば、北上

川南部よりながるゝ大河なり。衣  川(ころもがは)はいづみが城をめぐりて高館の

下(もと)にて大河に落入。康衡(やすひら)等が  旧跡は衣(ころも)が関を隔(へだ)て、南部口(なんぶぐち)

を指(さし)かため、夷(えぞ)をふせぐとみえたり。  さても義臣すぐつて此城にこ

もり功名一時の叢(くさむら)となる。国破  れて山河あり、城春にして

草青みたりと、笠打ちしきて  時のうつるまで泪をおとしぬ。

  夏草や兵どもの夢のあと  (なつくさや つわものどもの ゆめのあと)
     
  卯の花に兼房みゆる白毛(しらが)哉(かな)  曾良

かねて耳驚(おどろか)したる二堂開帳  す。経堂は三将の像をのこし、

光堂は三代の棺(ひつぎ)を納め、三尊の  仏を安置せり。七宝(しっぽう)散うせて

玉の扉(とびら)風にやぶれ、金(こがね)の柱霜雪(そうせつ)  に朽て、既頽廃空虚(たいはいくうきよ)の草むらと

なるべきを、四面新(あらた)に囲(かこい)て甍(いらか)  を覆(おおい)て風雨を凌(しのぎ)、暫時(しばらく)千歳

の記念(かたみ)とはなれり。

  五月雨の降のこしてや光堂  (さみだれの ふりのこしてや ひかりどう)


夏草や句:ただ夏草が茫々と生い茂っているこのあたりは、むかし源義経が功名を夢み、藤原氏の一族が栄華の夢に耽った跡である。それも、いまは虚しい。

五月雨の句:五月雨も、この光堂だけには降らなかったのだろう。あたりは皆朽ち果てているのに、この光堂だけが華やかなむかしを残している。

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