千利休 二畳隅炉の茶室『待庵』
JR山崎駅の前に妙喜庵はある。妙喜庵は室町時代の創建で臨済宗東福寺派に属し、国宝の茶室『待庵』がある。
「天下分け目の天王山」といわれる山崎の合戦のとき、羽柴秀吉は姫路より軍をすすめて山崎の地に陣をしき、千利休を招いて二畳隅炉の茶室をつくらせた。
山崎の地は桂川、宇治川、木津川が合流し、平野と盆地に挟まれた独特の地形と湿潤な気候により「離宮の水」と呼ばれる清らかな水が今もこんこんとと湧き、利休もこの水で秀吉に茶をたてたという。
露地には秀吉の衣の袖が触れたということから「袖摺松」と名付けられた一株の老松があり、茶室の前には秀吉の命名といわれる「芝山」と称する手水鉢がある。
待庵は千利休独特の構想で建てられ、掛け込み天井と棹縁天井の組み合わせ、床の間の隅や天井を塗り回した室床の構造、連子窓、下地窓の配置、すさを出した壁の塗り方、やや広い躙口(にじりぐち)、隅炉などの工夫に侘びの趣きがあり、二畳敷のわりには広く感じた。
尚、拝観は一ヶ月前の予約が必要で、時間の指定はできない。
JR山崎駅の前に妙喜庵はある。妙喜庵は室町時代の創建で臨済宗東福寺派に属し、国宝の茶室『待庵』がある。
「天下分け目の天王山」といわれる山崎の合戦のとき、羽柴秀吉は姫路より軍をすすめて山崎の地に陣をしき、千利休を招いて二畳隅炉の茶室をつくらせた。
山崎の地は桂川、宇治川、木津川が合流し、平野と盆地に挟まれた独特の地形と湿潤な気候により「離宮の水」と呼ばれる清らかな水が今もこんこんとと湧き、利休もこの水で秀吉に茶をたてたという。
露地には秀吉の衣の袖が触れたということから「袖摺松」と名付けられた一株の老松があり、茶室の前には秀吉の命名といわれる「芝山」と称する手水鉢がある。
待庵は千利休独特の構想で建てられ、掛け込み天井と棹縁天井の組み合わせ、床の間の隅や天井を塗り回した室床の構造、連子窓、下地窓の配置、すさを出した壁の塗り方、やや広い躙口(にじりぐち)、隅炉などの工夫に侘びの趣きがあり、二畳敷のわりには広く感じた。
尚、拝観は一ヶ月前の予約が必要で、時間の指定はできない。