無声の気合
これは、宮本武蔵「五輪書」の気合についての一節である。
一、三ツの声と云事
三ツのこゑとは初中後の声と云て三ツにかけ分る事也、所によりこゑをかくると云事専也、声はいきほひなるによつて火事などにもかけ風波にもかけ声は勢力を見する也、大分の兵法にしても戦より初めにかくる声はいかほどもかさをかけて声をかけ亦戦ふ間の声は調子をひきて底より出る声にてかゝりかちて跡に大きにつよくかくる声是三ツの声也 、又一分の兵法にしても敵をうごかさん為打と見せてかしらよりゑいと声をかけ声の跡より太刀を打出すもの也
又敵を打てあとに声をかくる事勝をしらする声也、是を先後の声と云、太刀と一度に大きに声をかくる事なし、若戦の内にかくるは拍子にのるこゑひきてかくる也、能々吟味有べし (宮本武蔵「五輪書」火の巻)
宮本武蔵は、掛け声は力をより強く作用させまたは拍子に乗るためのものとして、よくよく吟味あるべしと述べている。気合には、気勢が充実した発声が極めて大切だ。古より「有声より無声に入る」ということばがある。上達すれば発声がなくても無声で充分で、有声より無声の方が気海丹田により気力を集中できるとして、有声の気合よりも無声の気合に重きをおくようになるという。そして、精神を磨き、技術を磨く修練を重ねた達人や名人といわれる人は、有声の気合以上に相手を圧倒するものといわれている。晩年の植芝盛平先生は無声の気合だった。
合気の剣は気合を発する。