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武産通信

東山三十六峰 月を賞で 雪を楽しみ 花に酔う

禅  修行(2)

2008年09月27日 | Weblog
 ここ、M寺には貫首の他、35人の僧がいる。その全員が声を揃えて誦経する。独特の発声法は耳にではなく腹に響いて来るようだ。堂内全体が振動する。
 大般若波羅密多経の転読が始まる。転読とは教典をはらはらと流すように捲り一巻を誦んだ代わりにすることである。こうしなければ全部で六百巻からなる大部の教典を読みきることはできないのだ。転読は動的であるが、これもすべて作法に則って行われている。乱暴な訳ではない。
 また勤行の際にも鑼や木魚、手鑿(しゅきん)といった鳴らし物は有効に使われる。実に荘厳な調べであり、まるで音楽を聴いているかのような錯覚を覚えるが、これはそのように聴いてはならないものなのである。
 朝課が済むと僧達はそれぞれの公務に就く。
 公務とは文字通り公に務めるということである。俗世でいうそれとは違う。
 僧達の行っているのは経済活動と結びついた所謂仕事ではないのである。僧達は、働くことに働くこと以外の意味を求めないのだという。労働ではなく修行なのである。清掃や炊事すらも、寺の中では修行として捉えられる。僧達は全員が寺という社会を構成する構成員であり、必ず何かの役割を担っているのだ。その勤めを果たすことがすなわち修行となるのである。
 例えば法堂の掃除も勿論修行の内である。塵ひとつ残してはならない。これらの作務は謂わば動く禅なのである。
 この間典座(炊事役)の僧達は食事を作る。食事はよくいう一汁一菜。朝はお粥、昼と夜は麦飯という質素なものだ。
 雲版という鳴らし物の音に合わせ僧達は食堂に集まる。無言である。一切の音はしない。偈文を唱え、粥座(朝食)が始まる。箸の上げ下し、鉢の持ち方、果ては沢庵の噛み方にまで作法がある。姿勢を崩す者も音を立てる者もいない。食事が済むと鉢には一杯の茶が注がれ、この茶で洗鉢をし、仕舞う。食事にしてはあまりに異様な光景だが、これも修行なのである。
 そして愈々坐禅。
 坐禅は禅堂と呼ばれる建物で朝夕行われる。禅堂は、食堂、浴室と併せて三黙道場と呼ばれる。つまり一切口を利くことは許さ  (了)

 これは「鉄鼠の檻」の作中人物が小説内で記した原稿という体裁で書かれている。著者により禅寺での修行僧達の生活が描写される。


写真:十牛図「得牛」相国寺蔵。 男は牛に手綱をつけて、とっ捕まえようとする。

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禅  修行

2008年09月26日 | Weblog
 いま手にしている文庫本はぶ厚い。文庫本の小さからして広辞苑ほどの厚さに感じるほどである。普通なら上下、二巻にしてもおかしくないボリュームで見ただけでもうんざりする。が、「鉄鼠の檻」と題するその著者が京極夏彦とあるのを見て、その名前だけは知っていたので挑戦することにした。(講談社文庫版)
 まず、参考文献に惹かれる。「鳥山石燕画図百鬼夜行」「正法眼蔵」「臨済録」「碧巌録」「日本禅宗史」「中国禅宗史話」「無門関講話」「禅門の異流」「禅学大辞典」「臨済録提唱」「箱根山の近代交通」「箱根の逆さ杉」と、面白い。

 修行僧達の朝は早い。
 午前三時半。
 まだ辺りは暗い。振鈴の音が境内を駆け巡り僧達の一日は始まる。
 冬山の早朝は身を切るような寒さだ。
 振鈴役の僧はその厳しい寒さの中、法堂から方丈(禅師の起居する場所)旦過寮(新参の僧の寮舎)知客寮(接賓の施設)と境内を疾走して一巡し、一日の始まりを告げなくてはならない。
 山内に緊張感が漲る。続いて様々な音色の鐘や太鼓が響く。これが禅寺の時計となる。
 禅寺の一日はすべてこれらの<鳴らし物>によって管理運行する。
 起床に限らず時報の鐘、集合の合図など、皆音によって報される。鳴らし物の種類は鐘、太鼓、巡照板や魚板なとどと呼ばれる板と色々で、鳴らす回数や順序なども実に細かく決められている。僧達はこれらをすべて完全に知っていなければならない。聞いて判らなければいけないのは勿論だが、自らが鳴らす役になった場合、間違いは許されないからだ。時間厳守は徹底しているのだ。
 午前四時には開門。その時法堂の蝋燭、焼香用の炭などにはすべて火が灯されており、用意万端が整っていなければならない。僧達の動作に一切の無駄は許されない。
 貫首出頭の鐘に合わせ、禅師がおずおずと本堂に入場すると、朝課(朝のお勤め)が始まる。
 全山の僧達が一堂に会し勤行する様はまさに壮観だ。殿行と呼ばれる僧達が教典や見台を擦り足で運び入れる。
 歩幅、運ぶ位置、教典を持つ角度から低頭(お辞儀)の角度までぴったりと揃っている。僧達の呼吸に乱れはない。動作は頭の先から爪先まで、きっちりと決められているのだ。 (つづく)


写真:十牛図「見牛」相国寺蔵。 男は牛を見つけるが、まだすべてを見てはいない。

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禅  心はひとつ(2)

2008年09月24日 | Weblog
 坐禅の最中、私は何か人間以外の気配を感じていました。チベット僧が洞窟から出て行くとき、その音が急に大きくなりやがて止みました。はじめは周囲の雑音かと考えましたが、事実は大違いです。なんと、そこに蛇がいたのです。
 私は緊張感から次第に呼吸が困難となり、体内のアドレナリンがどっと流れるのを感じました。横で静かに坐っている老師に危険にさらされていることをささやき、ひょっとすると我々はコブラの巣で坐禅を組んでいるのかも知れないと説明しました。ところが、老師は私の言葉を気にもかけず、平然として私に坐禅に戻るよう諭されました。
 ここにいるのは毒蛇のコブラなのか? 私は確認のためある試みを思いつきました。老師にマッチをお持ちかどうか尋ねると、老師はおもむろに取り出したマッチを一本すって暗闇の中で手を差し出されました。すると洞窟の隅にいた太いロープのような数匹の蛇が動き出し、マッチの火の近くにいた蛇が、かま首を上げて「シュー」と音を立ててもがき出しました。それはまさしくコブラでした。
 マッチが燃え尽きるとコブラの動きは再び止まりました。私には深い瞑想に入る余地はもうありません。ところが驚いたことに老師は再び瞑想に入られています。それから永遠の長さに感じた1時間が過ぎた頃、老師が「さあ参りましょう」。静かに言葉を発し「どうぞお先に」と促されました。
 すぐに私は洞窟に無言の別れを告げトンネルの狭い出口に向って這って進みました。気味の悪いコブラに体が触れるかも知れないし、不幸にも噛まれるかも知れません。私は本当に死を覚悟しました。ところが本当に幸いにも最悪の事態は起こりませんでした。狭い入口付近で私の体がコブラに触れましたが、乾いた皮膚をしたコブラは流れる砂のようにさらさらと私の体から離れて行きました。老師もご無事で出てこられました。そしてひと言「あー 素晴らしかった」と仰いました。
 たとえ毒蛇がそばにいても、まったく心を動かさず平然と坐られる老師は「心はひとつ」の世界に入られていたのでしょう。その世界は、自分と他人、さらには毒蛇の存在にも分け隔てない共存、共生の世界であろうと思います。
 師の宮内寒光老師は大分前に亡くなられましたが、その名「寒光(かんこう)」は今も人々を悟りへと導いていると思います。

 そして会場からの「教授はキリスト教徒ですか、それとも仏教徒ですか」との問いに、グレン・T・ウエッブ教授は「不識」と答えられた。


写真:十牛図「見跡」相国寺蔵。 男は牛の足跡を見つける。

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禅  心はひとつ

2008年09月22日 | Weblog
 ペパーダイン大学名誉教授で佛教大学客員教授のグレン・T・ウェッブ「心はひとつ」の講演を聞いた。
 西洋を代表する宗教のキリスト教は「愛」を説き、全霊をもって神を愛し、他者と自己とを同等にみなすことを諭す。一方、東洋の仏教は「慈悲」を説き、それを身につけるための「道」の理念を築きあげた。
 ともに「心はひとつ」の世界を目指し他者との共存を教えている。平和な世界の実現のために私たちはそれぞれの教えを実践しなければならない。
 日本の文化、美術、宗教を研究する教授は、テキサスの大学を卒業し、シカゴ大学大学院で美術史を専攻する。そして留学、京都大学で日本文化を研究。アメリカに戻って、禅美術と茶そして歴史と宗教をワシントン大学、ペパーダイン大学の教壇に立ち指導する。そして、今日まで続けている坐禅が教授のバック・グランドとなっている。
 教授は小さな時からピアノの練習に励み、キリスト教会でピアノの演奏をした。16歳の時にニューヨークでのピアノリサイタルにこられた鈴木大拙老師が楽屋を訪ねて来られた。老師は「ZEN」を欧米諸国に紹介、広めた方である。
 日本へ渡って間もないある日、鈴木大拙老師と久松眞一博士が「日本文化を学ぶなら、実際にお寺で坐禅を組み、茶道や華道を稽古することが大切だ」と云われた。教授は相国寺での坐禅に始まり、200余の寺院を訪れて研究を重ねる。

 そしてグレン・T・ウェッブ教授は自らの禅体験を語られた。
 その昔、師僧である宮内寒光老師のお供をしてインド巡礼の旅に出ました。インドの気候には厳しいものがあります。釈尊が実際に歩まれた同じ道を辿るという老師の決意には堅いものがありました。
 ラギジュールからラージャグリハ郊外の「七葉窟(しちようくつ)」へと私たちは向かいました。ここは仏陀の死後に行われた第一結集(けつじゅう)が行われた場所で、摩訶迦葉(まかかしょう)をはじめとする釈尊の高弟が集まり、釈尊の教えをまとめる最初の会議をした歴史的跡地です。
 私たちは険しい山道を巡り、崖の上の洞窟へやっとのことで辿り着きました。洞窟の入口はかなりの広さがありましたが、すぐに狭くなって高さは70センチぐらい。そこからは岩のトンネルで、奥にある小室のような空洞にいたるまで、私たちは這うようにして進みました。
 トンネル内は真闇でしたが、奥の空洞がかすかな光で照らされていました。その光は、空洞で瞑想していた二人のチベット僧が持参した小さなバターランプの灯かりでした。チベット僧はこちらを向いてちらっと顔を上げましたが、その後は微動だにしません。そこで私たちも静かに這って入り彼等と一緒に坐りました。
 日本式の坐禅はかなり厳しいものがあります。不動の姿勢をとり、まったく動きません。だが洞窟内のチベット僧は時々身体を動かし姿勢を変えていました。2時間くらい経ったでしょうか、チベット僧はバターランプの灯かりを消して去って行きました。 (つづく)

  
写真:十牛図「尋牛」相国寺蔵。 男は牛を失っていることに気づいて捜しに行こうとする。

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碧巌録(3)  殺人刀活人剣

2008年09月08日 | Weblog
 「碧巌録」 第十五則  雲門倒説

[垂示] 殺人刀活人剣。 乃上古之風規。 是今時之枢要。 且道如今那箇是殺人刀活人剣。 試挙看。

(和訳) 殺人刀活人剣。乃ち上古の風規、是れ今時の枢要なり。且く道へ、如今那箇か是れ殺人刀活人剣。試に挙す看よ。

 殺人刀活人剣(せつにんとうかつにんけん)。この一句で生きた仏法の要領を言い尽くしていると安谷白雲老師は提唱される。
 修行するほうからいうと死ぬということが先決問題。指導者の方からいうと殺すということが先決問題。何を殺すのか。凡夫根性を殺す。死ぬとは凡夫根性が死ぬこと。凡夫根性とは何か。分りやすく言えば自分勝手だ。自分勝手を殺さないことには本当の我には復活は出来ない。本当の我とはどんなのか。実は宇宙大の我というのが本当の我です。
 我儘根性を殺してしまう。我儘勝手を殺してしまうという外に方法はないんです。自分勝手さえ殺せば本当の本来の我に、公明正大の我になるんです。それが本当の我なんだから。それを活人剣という。殺しさえすりゃ復活する。だから殺すことが先決だ。それでここにも殺人刀活人剣と、殺人刀が先に出ている。これが順序なんです。これは決して乱すべからざる順序だ。二つの剣を振るう。禅門では必ず殺活という。或は殺活自在という。

 合気道開祖植芝盛平は破邪顕正の剣を説かれた。

資料:安谷白雲老師「碧巌録提唱」
写真:宮本武蔵筆「枯木鳴鵙図」

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冷泉家時雨亭文庫(2) 乞巧奠

2008年09月04日 | Weblog
7月5日の「冷泉家時雨亭文庫」の続きです。

冷泉家で行われる七夕の行事「乞巧奠(きっこうてん)」。
今年は8月9日夜で、前々日が旧暦の 7月7日の立秋だった。
乞巧奠は文字通り、和歌などの技芸が巧みになるように乞う祭り(奠)。
七夕には大きく言ってふたつの祈りがあるようで、一つは技芸の上達、もう一つは恋の成就だという。
庭にしつらえられた「星の座」には、牽牛と織女へささげる布や糸、琴、野菜、魚、秋の七草などが供えられる。
灯明が「星の座」の手前にともされ、和歌が朗唱、披講される。
雅楽もあって源氏物語を思わせる雅な雰囲気がただよう。

写真:冷泉家の乞巧奠(きっこうてん)。中央が冷泉家第25代当主の冷泉為人(れいぜい ためひと)氏。「流れの座」で扇にのせて和歌を交換する男女。恋の気分がみなぎる。(冷泉家時雨亭文庫撮影)

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