合気道開祖植芝盛平翁の神事
淡路之穂之狭別(あわじのほのさわけ)の行
言霊のひびきが丸く二回、三回とまわります。神楽舞いがいよいよ始まりました。
これが天の浮橋です。
ス(〇にゝ)が言霊の始まりである。ス声が生長して、スーと、ウ声に変ってウ声が生れる。絶え間のないスの働きによってウの言霊が生じるのである。ウは霊魂のもと物質のもとであります。
スーウウウウユーム 淡路之穂之狭別の行をいう。
天の浮橋とは火と水の交流である。即ち造化の三神であると同時に、那岐那美二尊の御心の現れである。それが天祖国祖の合体で、吾人の使命の営みを、よく自分で魂の緒の糸筋をみがき浄めて、輝かせることです。これが武産合気武技の道であります。
水と火との動き、つまり高御産巣日、神産巣日の二神の、右に螺旋して舞い昇りたまい、左に螺旋して舞い降りたまう御行為によって、水精火台の生じる摩擦作用の模様と全く同一形式なのであります。
これを合気の上においては、気・剛・柔・流、そして、気△〇口という。これを根本として気によって技を生んでゆくのを武産合気という。 (植芝盛平先生口述『武産合気』抜粋)
写真:天の浮橋に立ちて杖を持った植芝盛平翁の神の舞い。右旋回に舞い昇る天輪の氣と、左旋回に舞い降りる降輪の氣は螺旋に恵む禊の杖。
<追悼> 野坂昭如さんの『最後の手紙』
はや、師走である。町は、クリスマスのイルミネーションに、さぞ華やかに賑やかなことだろう。ぼくは、そんな華やかさとは無縁。風邪やら何やら、ややこしいのが流行っている。ウイルスに冒されぬよう、ひたすら閉じこもっている。賑わうのは結構なこと。そんな世間の様子とは裏腹に、ぼくは、日本がひとつの瀬戸際にさしかかっているような気がしてならない。明日は12月8日である。昭和16年のこの日、日本が真珠湾を攻撃した。8日の朝、米英と戦う宣戦布告の詔勅が出された。戦争が始まった日である。ハワイを攻撃することで、当時、日本の行き詰まりを打破せんとした結果、戦争に突っ走った。当面の安穏な生活が保障されるならばと身を合わせているうちに、近頃、かなり物騒な世の中となってきた。戦後の日本は平和国家だというが、たった1日で平和国家に生まれ変わったのだから、同じく、たった1日で、その平和とやらを守るという名目で、軍事国家、つまり、戦争をする事にだってなりかねない。気付いた時、二者択一など言ってられない。明日にでも、たったひとつの選択しか許されない世の中になってしまうのではないか。昭和16年の12月8日を知る人が、ごくわずかになった今、また、ヒョイとあの時代に戻ってしまいそうな気がしてならない。 (12月7日にラジオ放送された野坂昭如さんの最後の手紙。番組収録)
はや、師走である。町は、クリスマスのイルミネーションに、さぞ華やかに賑やかなことだろう。ぼくは、そんな華やかさとは無縁。風邪やら何やら、ややこしいのが流行っている。ウイルスに冒されぬよう、ひたすら閉じこもっている。賑わうのは結構なこと。そんな世間の様子とは裏腹に、ぼくは、日本がひとつの瀬戸際にさしかかっているような気がしてならない。明日は12月8日である。昭和16年のこの日、日本が真珠湾を攻撃した。8日の朝、米英と戦う宣戦布告の詔勅が出された。戦争が始まった日である。ハワイを攻撃することで、当時、日本の行き詰まりを打破せんとした結果、戦争に突っ走った。当面の安穏な生活が保障されるならばと身を合わせているうちに、近頃、かなり物騒な世の中となってきた。戦後の日本は平和国家だというが、たった1日で平和国家に生まれ変わったのだから、同じく、たった1日で、その平和とやらを守るという名目で、軍事国家、つまり、戦争をする事にだってなりかねない。気付いた時、二者択一など言ってられない。明日にでも、たったひとつの選択しか許されない世の中になってしまうのではないか。昭和16年の12月8日を知る人が、ごくわずかになった今、また、ヒョイとあの時代に戻ってしまいそうな気がしてならない。 (12月7日にラジオ放送された野坂昭如さんの最後の手紙。番組収録)