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武産通信

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田中新兵衛の佩刀

2018年08月11日 | Weblog
                                              薩摩の田中新兵衛

 幕末の京都で『人斬り新兵衛』と呼ばれた薩摩の田中新兵衛。島田左近を斬った刀はニ尺三寸(約69.7㎝)の奥和泉守忠重。刀身は、直刃で身幅広く、反りも深く、重ねも厚く重量感にあふれる。鮫革の柄で鉄の柄頭、鞘は黒の薩摩拵えである。

吉村右京生年二十一歳、彼姉小路方江奪取候刀を以て、京師中之刀屋を最寄江呼寄候処、何れも薩州作り之由申出、其中に竹屋町烏丸東江入町刀屋見覚え有之由にて聢とは覚え不申候得共、薩州之藩士田中新兵衛方より拵に参り候事有之哉に存候旨申に寄、薩州屋敷江御疑念懸り段々御詮議有之、右探索之儀会津家江厳重に被仰付候由

 吉村右京当時二十一歳。彼は京都中の刀屋を呼び寄せ、奪い取った刀を見せたところ、刀屋たちはいずれも薩摩の拵えだと申し出た。その中の竹屋町烏丸東入るの刀屋が、この刀に見覚えがあったようで、はっきりとは覚えていないがこれは薩摩藩士の田中新兵衛様より私共の店に持ち込まれた刀の拵えと似ているようだと証言した。これにより薩摩藩邸に疑惑の目が向き、段々と怪しまれるようになり、その探索を厳重にするよう会津家へ仰せ付けられた。

 文久三年(1863)、田中新兵衛は姉小路公知殺害の疑いで京都町奉行に捕縛拘留された。取り調べ中、新兵衛は隙を見て自刃「切腹」して果てる。享年24歳。

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