武産通信

東山三十六峰 月を賞で 雪を楽しみ 花に酔う

日本庭園の美 『石』

2015年02月26日 | Weblog
 庭園における石の見立て方

 庭園に据える石は、どのような風景観をつくろうとしているのか、どのような物語性をもたせて表現しようとしているのかなどを考えて石を選ぶ。そのような行為を石を見立てるという。
 どのような石であっても、上下、左右、表裏などすべてを対照とすることができる。つまり、その全方向性の捉え方によって、それらの石の捉え方が、伏せる、横にする、立てる、これらの三種類の方法となって表現することができ、幅の広い表現力をもたせることができる。
 庭園において使われる石は、すべて自然のままで使うことを最も良しとしている。石は一つとして同じ形のものはなく、自然の素材であることから、見立ての選択肢が多い。この見立てによる美的感覚が千差万別あることからなのである。
 この自然のままの見立てという考え方は、アジア圏の庭園の中で、日本独自の美であるといってよい。たとえば、中国人は奇岩を好む。それは風土に根ざした空間づくりに適しているからである。

 無造作に選んだ一つの石で、その扱い方は様々な使い方がある。その選択肢は膨大であり、まさに日本庭園の自由度の高さといってもよいであろう。
一、舟石 : 蓬莱山に行くための舟を表した石で、具体的な舟の形のなるようなものを見立てる。一切の加工もなく、舟らしい姿の石を探すことは困難を極める。大徳寺大仙院(写真)や蓮華寺に見られる。
一、水墨画的な石 : 細くて背の高い石は急峻な山を思わせ、その姿によって水墨画的な表現ができる。
一、鶴、亀に用いる石 : 鶴は羽石や鶴首石(かくしゅせき)、亀には亀頭石(きとうせき)などがあるが、いずれも探すのは難しい。南禅寺金地院に見られる。
一、蓬莱山を表す石 : 威容を誇る石を見立て、洞窟石組なども作る。
一、陰陽石 : 陰陽を表す姿形の石を見立てる。立石と横石、または立石と伏石などにより、気勢による表現ができる。また男女を表すような石を見立てる手法もある。岡山の後楽園に見られる。
一、須弥山石組 : 石を斜めに傾け、仏教の世界観である九山八海(くせんはっかい)を表現するのであるが、なかなか難しい。
一、枯滝石組 : 複数個の石で、あたかも落水しているかの如く滝を創る。大徳寺大仙院や退蔵院に見られる。
一、鯉魚石(りぎょせき) : 躍動感のある鯉の姿に見立てられる石を探すのは、舟石と同じく困難を極める。

 日本庭園の石の組み方で、最も基本的な組み方は、三尊仏にたとえて「三尊石組」ともいわれる、最もバランスのとれた三石組である。
 石の据え方は、基本三原則の立石、横石、伏石の三つの手法を自在に駆使して表現しなくてはならない。即ち、立石は天、横石は左右、伏石は地の気勢を表す。そして、これらの石は自然のままの姿で使い、表面を加工したりすることはない。 (重森千青講義録『庭園における石の見立て方』)

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武道(13)  植芝盛平著

2015年02月15日 | Weblog
                                    練習上ノ心得

  壱、本武術ハ一撃克ク敵ノ死命ヲ制スルモノナルヲ以テ練習ニ際シテハ指導者ノ教示ヲ守リ、徒ニ力ヲ競フベカラズ。

  弐、本武術ハ一ヲ以テ万ニ当ルノ道ナレバ常ニ前方ノミナラズ四方、八方ニ対セル心掛ヲ以テ絶エズ緊張シツツ練磨スルヲ要ス。

  参、練習ハ常ニ愉快ニ実施スルヲ要ス。

  四、指導者ノ教導ハ僅カニ其ノ一端ヲ教フルニ過ズ、之ガ活用ノ妙ハ自己ノ不断ノ練習ニ依リハジメテ体得シ得ルモノトス。徒ニ多クノ業ヲ望マズ一ツ一ツ自己ノモノトナスヲ要ス。

  五、日々ノ練習ニ際シテハ先ズ体ノ変更ヨリ始マリ逐次強度ヲ高メ身体ニ無理ヲ生ゼシメザルヲ要ス。又、練習初期ハ一回約十分ヲ限度トス。然ル時ハ如何ナル老人ト雖モ身体ニ故障ヲ生ズル事ナク愉快ニ練習ヲ続ケ鍛錬ノ目的ヲ達スルコトヲ得ベシ。

  六、本武術ハ大和魂ヲ鍛練シ誠ノ日本人ヲ作ルヲ目的トシ、又、技ハ悉ク秘伝ナルヲ以テ徒ニ他人ニ公開シ流義ノ秘伝ヲ暴露シ或ハ市井無頼ノ徒ノ悪用ヲ避クベシ。

 『武道』 合気道開祖・植芝盛平著  昭和13年刊 
 「武道」は陸軍戸山学校長の賀陽宮(かやのみや)殿下の希望により作成された限定版。参謀将校による写真撮影という。開祖の受手は、植芝吉祥丸先生、塩田剛三先生、大久保能忠先生が務める。

 『武道』 武産通信バックナンバー
 1. 二ヶ条 (二教)  H26.9.7
 2. 入身投げ      H26.10.11
 3. 四方投げ      H26.10.13
 4. 小手返し      H26.10.14
 5. 体の変更      H26.12.13
 6. 一ヶ条 (一教)  H26.12.20
 7. 三ヶ条 (三教)  H26.12.27
 8. 座り技呼吸法   H27.1.4
 9. 四ヶ条 (四教)  H27.1.13
 10. 正面打ち     H27.1.22
 11. 横面打ち     H27.2.1
 12. 技法眞髄     H27.2.8

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那智の滝 凍る

2015年02月10日 | Weblog
 強い冬型の気圧配置が続いている10日早朝、和歌山県南部は氷点下を観測。那智勝浦町の熊野那智大社にある那智の滝(133㍍)では、3年ぶりにこの冬初めて岩盤・滝つぼが凍結した。

 過去の記事では、熊野那智大社によると水しぶきが徐々に凍って岩肌が白くなり、日が差し始めると音を立ててパリッ、パリッと表面の氷がはがれて落下、滝つぼがシャーベット状になったという。

写真:合気道開祖植芝盛平/大正14年頃、紀州熊野への求道行脚の折に那智の滝に立ち寄る。

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武道(12)  植芝盛平著

2015年02月08日 | Weblog
               武道ハ神ノ立テタル道ニシテ 眞善美ナル無限絶対ノ全大世界御創造御経綸ノ精神ノ道ナリト思考ス

               夫レ技ハ水火ノ眞妙ヲ出シ 天地ノ道又皇道精神ヲ畫キ 其業ハ言魂ノ妙用ヲ示シ 理ハ世界万有ノ
               教導トナリ 世界万有ヲ和シ 天地神人合一和合タリ

               其徳ハ光トナリ熱トナリ 両者天地人合気ノミツルギトナリ 時ニ乗ジテハ天地ノ理ヨリ来ル邪気ヲ
               天地人共ニツルギノ道ニテ常ニ悪魔ヲ切リ払ヒ 美シク世ヲ清ムルノ道ト思考ス

                                       技法眞髄

               敵ト云フ者ハ惟神に起キタルモノニシテ 自己ノ心身ヲ誠ニ作リ上ゲル為メノ修行鍛錬ノ賜ト思ヒ

               合気ハ練習ノ徳ニ依リテ自然ニ會得シ得ルモノナリ

               足ノ踏ミ方ハ外六方 内六方及外巴 内巴アリ練習ノ際ニ傳授ス

 『武道』 合気道開祖・植芝盛平著  昭和13年刊 
 「武道」は陸軍戸山学校長の賀陽宮(かやのみや)殿下の希望により作成された限定版。参謀将校による写真撮影という。開祖の受手は、植芝吉祥丸先生、塩田剛三先生、大久保能忠先生が務める。

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遺跡 二条大路末

2015年02月03日 | Weblog
 円勝寺跡・成勝寺跡・岡崎遺跡発掘調査現地説明会

 京都市埋蔵文化財研究所は、京都市美術館(京都市左京区岡崎)の敷地から二条大路末の遺構を発掘した。

 平安時代後期、白河の地には6つの寺院が建ち並んでいた。法勝寺(白河天皇)、尊勝寺(堀河天皇)、最勝寺(鳥羽天皇)、円勝寺(鳥羽天皇皇后待賢門院)、成勝寺(崇徳天皇)、延勝寺(近衛天皇)と、いずれも「勝」の字がつくため、この6ヶ寺をあわせて「六勝寺」と呼ばれている。また六勝寺の周辺には、白河南殿、白河北殿など、多くの院御所や寺社が集まっていた。しかし、室町時代になると、応仁の乱による戦火のために寺院や邸宅は焼け徐々に耕地化していったという。

 六勝寺の発掘調査は、1959年の京都会館建設工事にともなう発掘調査として本格的に始まり、これまでの調査で多くの成果があがっているが、六勝寺の正確な位置や規模を確定するまでには至らなかった。

 今回の発掘調査は、京都市美術館再整備事業にともなうもので、平安時代初期に造営された円勝寺と成勝寺の境界と北側の境界が分った。
 これにより、円勝寺は東西1町規模であることが明らかになり、二条大路末の道路幅は約30mと判明した。これは平安京の一般的な大路と同規模であり、大規模な都市計画であったことが分ったという。

 写真後方に見えるのは平安神宮の大鳥居。

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武道(11)  植芝盛平著

2015年02月01日 | Weblog
                                    横面打ち

                左足ヨリ左前ニ前進シツツ左手刀ヲ以テ敵ノ右手ヲ打チ払イ右手刀ヲ以テ面ヲ攻撃ス

 『武道』 合気道開祖・植芝盛平著  昭和13年刊 
 「武道」は陸軍戸山学校長の賀陽宮(かやのみや)殿下の希望により作成された限定版。参謀将校による写真撮影という。開祖の受手は、植芝吉祥丸先生、塩田剛三先生、大久保能忠先生が務める。

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