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武産通信

東山三十六峰 月を賞で 雪を楽しみ 花に酔う

武道と俳句 四

2025年04月20日 | Weblog
  武道と俳句 四   秋水百句 

 卯月八句

 花曇奉納演武の気合満つ

 道場の窓いっぱいの春惜しむ

 悠然と坐して山見て春惜しむ

 老木と雖盛りぞ藤千房

 武の道の落花は風に逆らはず

 大阿闍梨逝く庭に白い蝶

 8の字に蜂はめぐりてわらべ唄 

 水占の貴船は朧紬の手

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5月の武産会

2025年04月17日 | Weblog
  武産合気研究所

 5月6日(祝) 武道センター

 5月24日(土) 武道センター

 [道歌]  せん太刀を天に構へて早くつめ打逃しなば横に切るべし

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合気道武産会熊本道場

2025年04月01日 | Weblog
                          合気道創始者 植芝盛平翁
                             (1883~1969)

 合気道武産会熊本道場 


 入門案内

 合気道は創始者植芝盛平翁が、日本古来の武道及び柔剣道を会得し、更に精神的修行を加えて編み出された独自の武道です。
 合気道の技の中には、柳生流、起倒流、宝蔵院流及び最後に修行された大東流等の技が混然一体となって包含されています。
 合気道は神人合一といいましょう か、天地と一体となるといいましょうか、天地の理を究め、天地の理に基いて動き、これを行ずることによって天地の理を身体に現実に描き出す道です。
 戦前はこれを秘技として公開しなかったので、世人でこれを知る人は極めて稀でした。昨今は合気道の名声とみに高まり、多くの人に知られるようになりましたが、真の合気道とは如何なるものかを知る人は極めて稀であると思います。
 合気道の「気」とは、有限の意識による腕力と違って、無意識に働く無尽蔵の活力をいいます。合気道は、和合の気、魂の恵みがあり、気の流れがあって、そこに生活が出来、物が産まれるのであると信じます。合気道では、これを武産(たけむす)といいます。この行を社会の方々に一人でも多く知り、また悟って戴くことを念願して私どもは日夜稽古に励んでいます。
 合気道は敵をつくらない争わない気の世界であり、この練磨によって、この禊によって現実の社会の乱れを清浄に戻すことができると信じます。武は大愛であり、この大愛の精神こそ天地和合、人類大和の道といえましょう。
 合気道は自己の気の流れを、宇宙の気に和合せしめ、美しい舞の如く円転流れるような体の捌きで、一触相手を倒してしまいます。腕ずくで揉み合ったり、ぶつかり合ったりしませんから、老若男女を問わず誰でも稽古することができます。
 合気道武産会熊本道場は伝統的合気道を稽古します。
 初心者を歓迎、入門は随時できます。
                                                道場長  廣田将之

[道場] 
 熊本市総合体育館武道場  熊本県熊本市中央区出水2丁目7−1

[稽古日]
 毎週 火・金曜日 午後7時30分~8時30分 

[連絡先]
 廣田将之  Tel.090-8223-0926
       E-mail : masa.aiki@gmail.com

[道場長略歴]
 廣田将之  合気道五段
  昭和51年(1976) 熊本に生れる。
  平成7年(1995) 合気道武産道場(樋口隆成師範)に入門。
  平成8年(1996) 花園大学に合気道部を創部、初代主将となる。
  平成23年(2011) 熊本公徳会武道場に合気道武産会熊本道場を開設。

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山岡鉄舟の俳句

2025年03月30日 | Weblog
 山岡鉄舟の俳句

  蝸牛登らば登れ富士の山

  行く先に我が家有りけり蝸牛

  腹張りて苦しき中に明烏

 一瞬が生死を分かつ武道の世界。そして、僅か十七文字に己を托す俳句の世界。武道と俳句の根底に流れるそのこころは。
 武道においては、無心の境地が重要とされ、余計な思考を排し、瞬時に最適な動きをすることが求められる。これは、俳句における刹那の美を捉える感性と通じるものがある。
 また、武道では間合いが勝負を決するといわれる。この間とは、相手との距離だけでなく、動作と動作の間にある静けさや、静中の動のことでもある。一方、俳句でも間は極めて重要である。五七五の限られた音数の中に余韻を残し、読者に想像の余地を与えることが求められるからである。
 武道は日々の稽古を重ねることで洗練され、無駄のない動きへと昇華されていく。俳句もまた、多くの試行錯誤を経てことばを削ぎ落とすことで、より深い表現となる。特に、かな、けり、などの切れ字は、武道の残心のような役割を果たすのである。
 そして、武道は自然と調和することを重んじる。俳句もまた、季語を通して自然との一体感を表現する。自然の情景は、心の動きと直結しているのである。
 武道の根底には、常に死生観がある。武士は、死を意識することで生を充実させるという考えを持っていた。俳句もまた、死を見つめることで生を際立たせるのである。山岡鉄舟の辞世の句「腹張りて苦しき中に明烏」などはその典型である。
 武道と俳句は、日本文化の根底に流れる、道の精神を体現しているのである。

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4月の武産会

2025年03月16日 | Weblog
  武産合気研究所

 4月13日(日) 鞍馬寺奉納演武

 4月29日(祝) 武産道場

 [道歌]  取りまきし槍の林に入るときは小盾は己が心とぞ知れ

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武道と俳句 参

2025年03月09日 | Weblog
  武道と俳句 参   秋水百句 

 弥生八句
 
 比良八講吾を鍛へし素振千

 楓の芽一枝なれど天を突く

 楓の芽道場開きの神棚に

 心経の遅日列なす禅の寺

 ひさかたの春雨袈裟に濡れかかる

 雪隠の尻吹あげる風雪解

 昇段を祝ふ花見の剣と酒

 通し矢の袂ひろげて春日傘 

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小林一茶 音と俳句

2025年03月01日 | Weblog
                             村松春甫画「小林一茶」

 小林一茶 音と俳句

     うつくしき団扇持ちけり未亡人   一茶

 「うつくしき」というのは非常に難しい言葉です。よく使いますけど。「う」という音は口のなかの一番奥から出てくるわけですよね。「い・あ・お・う」っていう、これはもう人間、何国人とは分け隔てなく、人間の基本は一番「い」という音を口の前で出して、その次が「え」で、「あ」は口の中央の下の方で、「お」はもっと奥で、「う」というのはほとんど内臓から出てくるんですね。だから誰かにがーんとおなか殴られると「ううーっ」って言うのは、「う」という母音は口の奥、ほとんど内臓から出てくる。ですから「うつくしい」というのは本当に体全体、胃も腸も「うつくしい」と思うから「う」っていう音が出る。

 こんどは「み」っていう一番前で。だから、「うつくしいなあ、あんな団扇もってかっこいいなあ」、それで、「う」の音でやっておいて、「未亡人」という一番強い母音をもっている音でびしっと止めるわけですね。こういうことを無意識にやるにしろ、意識的にやるにしろ、すごい人だとは思います。(井上ひさし「完本 小林一茶」)

 井上ひさしは、小説家、劇作家、脚本家。ユーモアと社会風刺を交えた作品で知られる。
 小説は、「手鎖心中」で直木賞。「吉里吉里人」で読売文学賞。
 戯曲は、「道元の冒険」で岸田國士戯曲賞および芸術選奨新人賞。 「しみじみ日本・乃木大将」「小林一茶」で紀伊國屋演劇賞と読売文学賞。
 放送作家としても活躍。NHK人形劇の「ひょっこりひょうたん島」ほか。
 その作風は、笑いを交えつつ、社会問題を鋭く描く。演劇を通じて平和の大切さを訴えた。笑いながら考えさせる作風が特徴である。井上ひさしが設立した「こまつ座」は今も彼の作品を上演し続けているという。

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小林一茶の俳句

2025年02月23日 | Weblog
                             村松春甫画「小林一茶」

 小林一茶の俳句

 天に雲雀人間海にあそぶ日ぞ

 天広く地ひろく秋もゆく秋ぞ

 白魚のどつと生るるおぼろ哉

 手にとれば歩たく成る扇哉

 つくづくと鴫我を見る夕べ哉

 義仲寺へいそぎ候はつしぐれ

 山寺や雪の底なる鐘の声

 しづかさや湖水の底の雲のみね

 木つつきの死ねとて敲く柱哉

 小便の身ぶるい笑へきりぎりす

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武道と俳句 弐

2025年02月05日 | Weblog
  武道と俳句 弐   秋水百句 

 如月八句
 
 清眼に構へし剣や寒の薔薇

 薄氷の如き刃先の無銘剣

 寒垢離に首を縮めてゐる雀

 春泥や道場の門叩く朝

 上段の剣天に在り朝霞

 木剣を削る山里春浅し

 一念を込める鏑矢鬼やらひ

 山崎のウヰスキー待庵に梅一輪

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武道と俳句 壱

2025年01月05日 | Weblog
                              薰風句碑

  武道と俳句 壱   秋水百句 

 睦月十句

 恵方より四方を祓ふ禊太刀 

 羽目板に睦月の気合入りにけり

 鎮魂や睦月の手桶凍てをり

 蒲団撥ね鞍馬の山に詣でけり

 正月や火入れの窯に神のこゑ

 正月や後に刀架前に酒

 風花や山に分入る剣と杖

 風花におこぼこぽこぽ巽橋

 初の字は手帳にいくつ福寿草

 繋ぐ手に花いちもんめ春を待つ

 [略歴]
 小男鹿俳句会(鈴鹿野風呂)会員。丸山海道に師事する。

 [句碑説明版]
   薰風句碑
     風薫る左文右武の學舎跡  野風呂
  鈴鹿登(野風呂)は大正9年に文科教授として武道専門学校に赴任し
 大東亜戦争の終結後 昭和22年廃校時に最後の校長として武専を
 収めた ホトトギス同人の俳人で 京鹿子誌をも主宰していた
 生涯を通じて三十萬余句をものしたという
 武専で授業の傍「小男鹿俳句会」を起して指導していたが 廃校と
 共に中絶した 昭和34年に至り句会は再興し 又その指導をする
 こととなった 
  昭和38年 野風呂の喜壽を祝して句碑建設を計画し翌49年3月
 洛北高雄より碑石を得て旧母校の正門脇に据えた
   左文右武句碑ともいう
    昭和46年没  八十五歲
            大日本武徳會 武道專門學校 
                      小男鹿俳句會

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