武産通信

東山三十六峰 月を賞で 雪を楽しみ 花に酔う

心と剣

2018年05月27日 | Weblog
 心と剣     アンドレ・ノケ

 先生(植芝盛平)は、いつもお祈りしていらっしゃいますが、合気道は宗教なんですか?  
 いや、そうではない。だが、君(アンドレ・ノケ)がキリスト教を信仰しているなら、合気道によっていっそう敬虔なクリスチャンになれるよ。それは仏教徒の場合も同じことだ。

 あなたは私が教えた技をことごとく修得してくれたものと期待しています。と同時にこれらの技をいかに使わずにすむかを配慮するということも。
 私は合気道を通してあなたに非暴力の技を教えてきました。合気道とは、身体を通して精神(スピリット)を心に従わせる武道です。合気道は愛です。そして合気道が愛ならば、それは心です。
 神はあなたに心の剣をお与えになった。それは、あなたの兄弟である敵の心の憎しみを破る目的だけに使われるべきであって、その人の肉体を損なうために使われてはならないのです。
 相手に剣をふりかざすのではなく、心をさしのべなさい!
 合気道において技法は二次的なものです。肝心なのは技の持つ精神(霊)に気づくことです。私のこの言葉を世界の人々に伝えてほしい。

 言い終わると翁は沈黙し、目を閉じた。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

弓と禅

2018年05月20日 | Weblog
 弓と禅     オイゲン・ヘリゲル
 
 ひとつは、的に当てることへの執着を、何度師(阿波研造)に諭されてもぬぐい去ることのできないヘリゲルに、師がこう言って、「あなたの悩みは不信のせいだ。的を狙わず射当てることができるということを、あなたは承服しようとしない。それならばあなたを助けて先へ進ませるには、最後の手段があるだけである。それはあまり使いたくない手であるが」、夜もう一度、来るようにと告げる。

 弟子は夜になって師を訪問する。師は無言で立ち上がり、弓と二本の矢をもって着いてくるようにと歩き出す。針のように細い線香に火を灯させた師は、先ほどから一言も発せずに、やがて矢をつがう。もとより、線香の火以外の光はない。闇に向かって第一の矢が射られる。発止(はっし)という音で火が消え、弟子は矢が命中したことを知る。そして漆黒の中、第二の矢が射られる。師は促して、二本の矢を弟子に改めさせる。第一の矢はみごと的となった線香の真ん中をたち、そして第二の矢は、第一の矢に当たりそれを二つに割いていた。

 「私はこの道場で30年も稽古をしていて暗い中でも的がどの辺りにあるかわかっているはずだから、一本目の矢が当たったのはさほど見事な出来映えでもない、とあなたは考えられるであろう。それだけならばいかにももっともかも知れない。しかし二本目の矢はどう見られるか。これは私から出たものでもなければ、私があてたものでもない、この暗さで一体狙うことができるものか、よく考えてごらんなさい。それでもまだあなたは、狙わずにはあてられぬと言い張られるか。まあ、私たちは、的の前ではブッダの前にあたまを下げるときと同じ気持ちになろうではありませんか」

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

西郷隆盛の顔(4)

2018年05月12日 | Weblog
                                                 故正三位 西郷隆盛
                                                   Saigo Takamori

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

西郷隆盛の顔(3)

2018年05月08日 | Weblog
 大阪造幣局創業の翌年、明治5年(1872)、明治天皇は近畿、四国、中国地方に行幸の際、造幣寮を視察し3日間を過ごした。
 写真は、その際に大阪造幣局前で撮影されたもので、錦の御旗を持つ左端の人物が西郷隆盛とされる。
 東京から明治天皇についてきたという記録が残っているといい、「造幣局沿革誌」(大正10年発行)には、左端の旗を持つ人物が西郷隆盛だと記されている。また、当時の新聞にも「錦旗を手に天皇を御先導した」との記述があるという。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする