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武産通信

東山三十六峰 月を賞で 雪を楽しみ 花に酔う

花園大学合気道部

2009年10月29日 | Weblog
                                            仙厓和尚墨蹟

 合気道部の大看板を揮毫していただいた河野太通老師が、臨済宗妙心寺派管長に就任されます。

 臨済宗妙心寺派(大本山 妙心寺、京都市右京区)は28日、任期満了で退任する東海大光(とうかい だいこう)管長(82)の後任に兵庫県姫路市の龍門寺(りょうもんじ)大衆禅道場師家で、元花園大学長の河野太通(こうの たいつう)氏(79)を選んだと発表した。妙心寺住職も兼任する。 (朝日新聞 2009年10月29日付朝刊)

 平成8年(1996)5月、花園大学合気道部が創部される。初代主将は廣田将之。

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合気道技法(5)

2009年10月25日 | Weblog
 指導者の教導は僅に其の一端を教ふるに過ぎず之が活用の妙は自己の不断の練習に依り始めて体得し得るものとす。


五、座り業 肩

受  左手で相手の右肩摑み右手で打ち出す

仕  打って来るのを右手で受け左手で肘ひいて仰向けに打倒す

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奥の細道(12)  松島

2009年10月18日 | Weblog
  柿衛本 「おくのほそ道」  松島

日既に午(うま)にちかし。舟をかりて松嶋に  わたる。其間(そのかん)二里余、小嶋(おじま)の磯につく。

抑(そもそも)ことふりにたれど、松しまは扶桑  第一の好風(こうふう)にして凡(およそ)洞庭(どうてい)西湖(せいこ)を

恥ず。東南より海を入て江の中(うち)  三里、浙江(せつこう)の潮(うしお)をたゝゆ。嶋々の数(かず)

を尽(つく)して欹(そばだつ)ものは天を指(さし)、ふす  物は浪に匍匐(はらばう)。あるは二重(ふたえ)に

かさなり三重にたゝみて左に  わかれ右につらなる。負(おえ)るあり、抱(いだ)

けるあり、児孫(じそん)愛すがごとし。松の  緑こまやかに、枝葉(しよう)汐風に吹(ふき)ためて

屈曲(くっきょく)をのづからためたるがごとし。  其(その)景色(けしき)窅然(ようぜん)として美人の顔(かんばせ)を

粧(よそほ)ふ。千はやぶる神のむかし、大山(おおやま)  すみのなせるわざにや。造化の天工(てんこう)

いづれの人か筆をふるひ、詞(ことば)を尽(つく)さん。

雄島が磯は地(ぢ)つゞきて海に出(いで)た  る嶋也。雲居禅師(うんこぜんじ)の別室の

跡(あと)、坐禅石など有。将(はた)松の木陰  に世をいとふ人もまれ/\みえ

侍て、落(おち)ぼ、松笠など打煙た  る草の庵(いほり)、閑(しづか)に住なし、いかなる

人とはしられずながら、先なつかし  く立よるほどに、月海にうつりて、

昼のながめまたあらたむ。江上に  帰りて宿を求れば窓をひらき

二階を作りて、風雲の中に旅ね  するこそ、あやしきまで、妙なる心

地(こゝち)はせられ侍る。

  松しまや鶴に身をかす時鳥(ほとゝぎす)  曾良

予は口をとぢて眠らんとしても  いねられず。旧庵をわかるゝ時、素堂

松しまの詩あり、原 安適(あんてき)松がうら  しまの和かを送る。嚢(ふくろ)を解(とき)て

こよひの友とす。且(かつ)杉風、濁子(しょくし)発  句あり。

十一日、瑞岩寺に詣。当寺三十二世  のむかし、真壁(まかべ)の平四郎出家し

て入唐、帰朝の後(のち)開山す。其後(のち)に  雲居禅師の徳化によりて七堂

甍(いらか)改りて金壁荘厳(きんぺきそうごん)光を輝  し仏土成就の大伽藍(がらん)とはなれりける。

彼の見仏聖(けんぶつひじり)の寺はいづくにやと  したはるる。

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密教立川流

2009年10月15日 | Weblog
 ひとつの極限の形態として即位灌頂が知られている。これは天皇の即位に絡む仏教儀礼であるが、藤原氏に伝えられた秘伝であり、即位のときに天皇に伝授されるという。その本尊はダキニ天であるが、人黄(人間の根源的な精気)を食う羅刹であり、愛欲の神として、異端的な密教立川流とも関係が深い。そのダキニ天を本尊とするダキニ法は仏教の正統に位置づけられない「外法」である。その呪術的な力が王権の本質を形づくるわけである。王権はその継続性が重要な意味を持つから、仏教の原則に従って煩悩を滅し、性を否定してしまっては成り立たない。王法が仏法から見れば「外法」的な立川流に接点を持つのはそのゆえである。天台座主慈円(じえん)が王権の危機に当たって見た夢の記録である「慈鎮和尚夢想記(じちんわしょうむそうき)」もまた、このような王権と仏法の関わりに対して重要な示唆を与える。それは、三種の神器の神璽と宝剣をそれぞれ后と国王の体と見、その交合に国家の繁栄を見ようというものである。 (末木文美士文「仏教と国家」/神仏習合と神国思想「日本文化研究」)

・ダキニ天(茶吉尼天)  夜叉の類で、胎蔵界曼荼羅外金剛部院に配される女性の悪鬼。六ヵ月前に人の死を知り、その心臓を食うという。またその法を修するものには自在の力を与えるという。 (新村出編「広辞苑」)

写真:京都御所

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合気道技法(4)

2009年10月11日 | Weblog
 練習は常に愉快に実施するを要す。


四、座り業 肩

受  右手で相手の左肩を摑む

仕  右手で面打ち左で敵の右肘打ちながら左膝進み右手で敵の右手をとって前方に押倒す

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奥の細道(11)  塩釜

2009年10月04日 | Weblog
  柿衛本 「おくのほそ道」  塩釜

それより野田の玉川、沖の石を尋  ぬ。末の松山は寺に造りて末松山(まつしょうさん)と

いふ。松のあひ/\みなはかはらにて  はねをかはし枝をつらぬる契(ちぎり)の末

も終(つい)にはかくのごとしとかなしさも  まさりて、塩がまのうらに入相(いりあひ)の

かねを聞。五月雨の空聊(いさゝか)はれて  夕月夜かすかに籬(まがき)かしま

もほどちかし。あまの小舟こぎつ  れてさかなわかつ声/゛\につなで

かなしもとよみけん心もしられて  いとゞ哀也。其夜盲(めくら)ほうしのびは

をならして奥上るりといふものを  かたる。平家にもあらず、舞にも

あらず、ひなびたる調子うち上(あげ)て  枕ちかう、かしがましけれど、さす

がに辺土の遺風(いふう)忘れざるもの  から、殊勝に覚らる。早朝塩がまの

明神にまうです。国守再興せら  れて、宮柱ふとしく、彩椽(さいてん)きらび

やかに、石の階(きざはし)九仭(きゅうじん)に重り、朝日  あけの瑞籬(たまがき)をかゞやかす。かゝる

みちのはて塵土(じんど)のさかひまで神灵(しんれい)  あらたにましますこそ、吾国の風

俗なれと、いと貴(とうと)けれ。神前に  古き宝燈(ほうとう)あり。かねのとびらの

おもてに文治三年和泉(いずみ)三郎寄  進とあり。五百年来の俤(おもかげ)、いま

めのまへにうかびて、そゞろに珍し。  渠(かれ)は勇義忠孝の士也。佳命(かめい)今

にいたりてしたはずといふ事なし。  誠(まこと)人能(ひとよく)道を勤(つとめ)、義を守るべし。

佳名も又是(これ)に随(したが)ふといへり。

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