木屋町に宿をとりて川向の御多佳さんに
春の川を隔てゝ男女哉 漱石
京都と俳句 夏目漱石
夏目漱石の句碑が鴨川の御池大橋西詰に建つ。駒札に、漱石は生涯、四度にわたって京都を訪れたとある。最初は明治25年(1892)7月、友人で俳人の正岡子規とともに。二度目は明治40年(1907)の春、入社した朝日新聞に『虞美人草』を連載するためで、三度目は2年後の秋、中国東北部への旅の帰路であり、4度目は大正4年(1915)の春、随筆『硝子戸の中』を書き上げた直後であった。
このとき、漱石は、画家の津田青楓のすすめで木屋町御池の旅館「北大嘉」に宿泊する。祇園の「大友」の女将・磯田多佳女と交友をもつが、ある日、二人の間に小さな行き違いが起こる。漱石は、木屋町の宿から鴨川を隔てた祇園の多佳女を遠く思いながら句を詠んだ。