武産通信

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田辺市に新武道館建設

2017年08月29日 | Weblog
                                     新武道館の完成予想図

 和歌山県田辺市の扇ケ浜公園に新武道館が建設される。構想では合気道開祖・植芝盛平翁の顕彰館、及び防災、観光の機能も持たせるという。
 新武道館は鉄筋コンクリート3階建てで、延べ床面積3318平方メートル。競技場や顕彰館など主要機能は2階。3階には練習場と屋上広場を設ける。平成31年の完成予定。

 田辺市は、合気道開祖・植芝盛平翁生誕の地であり、昭和63 年に設立された植芝盛平翁顕彰会では、翁の偉大な足跡と功績を顕彰していくため、「植芝盛平翁記念館」の建設に向けた調査研究を続けてきた。さらに、多くの合気道関係者が本市を訪れているが、植芝盛平翁を顕彰する拠点となる施設がなく、記念館の建設が課題の一つとなっている。
 こうした状況を踏まえ、植芝盛平翁の顕彰機能を付加した武道館としてはもちろん、観光やまちづくりの観点も取り入れた施設としたいと考えており、完成時期については、平成31 年の「植芝盛平翁没後50 年」及び同年秋に開催予定の「第32 回全国健康福祉祭(ねんりんピック)和歌山大会」における競技会場としての使用を目指し取組を進める。 (田辺市立新武道館基本構想策定委員会)

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俳句 送り火

2017年08月18日 | Weblog

                              妙法に経手向けたり焔立つ     秋水

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老年の品格

2017年08月13日 | Weblog
 曽野綾子女史の夫にして作家の三浦朱門が随筆『老年の品格』で、人種問題などをプラクティカル・ジョーク(現実的な冗談、笑いごとではない冗談)で切り込む。

 アメリカの大統領に…
 明治元年、明治天皇は五箇条の御誓文を宣言している。その三年前にアメリカでは南北戦争がが終わり、奴隷制度が廃止になった。
 湾岸戦争がはじまって、ブッシュ大統領が、日本だって敗戦によって民主主義国家になった、と言った時、
 「そうです、アメリカは先進国です。日本が議会主義、人間の平等を宣言する三年も前に、奴隷制度を廃止したんでしたっけね」
 また「アメリカも日本を七年も占領して、戦前から日本国民が平等であることに気づいて、アメリカでも白人、黒人が一緒にレストランで食事ができるようになったんでしたっけ。1970年ころ、ベトナム戦争のころでしたか、イラクではイスラム教とキリスト教徒は一緒に食事ができない? そうそう、イスラム教徒はブタを食べないんでしたっけ。つまりイスラム教徒にブタを食べさせるのが、今度の戦争の目的?」

 中国の役人に…
 「いや、日本の自民党も、いかにも大企業を助けるような顔をしていますが、政党の力の半分は、割合からいうと、十数パーセントすぎない農民を利用しているんですわ。毛沢東先生のやり方を学んでいるんでしょう」
 「いやー、おタクも達者なものですなあ、千年前の私たちの先祖も、おタクの漢字文化を拝借してとにかく高級な文明をつくったし、それを基本に日本文字もつくった。のみならず西欧と接触した時も、漢字文明を利用して、ヨーロッパの近代文明を翻訳した。そういう私たちも達者ですが、おタクの近代化を見ていると、やはり、同じ東洋人ですなあ。うまいこと、日本の成果を自分の物に利用する。お互い、マネと改良はうまい。これは世界に誇るべき能力だ」

 韓国に…
 「お宅の地下鉄も、今や世界一といわれる電化製品のサムスンも、自動車のヒュンダイ、製鉄のポハンも、日本の技術が育てた育てたものですけれどね。日本にも千三百年前に百済だか新羅だか知らないけれど、寺社建築の技術者の集団が来ましてね。それまでの日本の建築は伊勢神宮のようなものでしたが、五重塔などを造るようになりまして、とにかくお宅から学んだ技術でできた唐招提寺など、今でも国宝の名建築ですわ。
 その技術者の集団は日本人になったのですが、その組織が今でも金剛組と言いましてね。創立から千何百年になりますか。世界一古い企業でしょう」

 捕鯨国日本の仲間の国に…
 「いや、百五十年ばかり前、アメリカが日本に開国を迫ったのは、つまりアメリカの捕鯨船に水を供給する港を造れ、ということだったんですよ」

 反捕鯨国オーストラリアの担当者に…
 「おタクは経験豊富だから伺いたいんです。つまりタスマニア島の原住民を、お宅は全滅させましたね。しかし西北には約七万人の原住民が残っている。その歴史を教えていただけませんか。つまりクジラもどの程度とれば全滅するか、どの程度でやめれば、種族の保存が図れるか、歴史的資料があれば、ぜひともお教えいただきたい」

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妙法 送り火

2017年08月06日 | Weblog
 松ヶ崎『妙法』の送り火について

 送り火の起源には諸説あり、確かなところは現在もわかっていません。
 ここでは松ヶ崎の妙法の麓にある涌泉寺の寺伝による説をご紹介します。
 送り火は、8月16日に行われる仏教的行事で、一般に行われるようになったのは、仏教が庶民の間に浸透した中世ごろといわれています。 また「妙」と「法」は同時に書かれたのではなく、妙が法より先に書かれたものであることが伝えられています。
 鎌倉末期の徳治元年、日像の教化によって、天台宗から法華宗に改宗しました。
 鎌倉時代末期に日蓮聖人の孫弟子である日像上人が、村人に法華経を説き、一村をあげて日蓮宗に入りました。そのとき日像上人が西山に「妙」の字を書いたと伝えられています。また東山の「法」の字は、それより遅れ江戸時代に日良上人が書いたと伝えられています。
 妙法の左読みについては、妙の字が松ヶ崎の西端にあったため、法の字は東に書くしかなかったからだろうといわれています。
 以前は、杭の上に松明を結んで点火したり、穴を掘って石を置いて火床を作り点火していましたが、現在は、ステンレス鋼製の受け皿火床 が斜面に設置されそれに割木を置いて点火しています。
 松ヶ崎では、前日の15日午後八時ごろと点火終了後の午後九時ごろから涌泉寺で題目踊・さし踊が催されます。 (公財・松ヶ崎立正会のHPより転載させていただきました)

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