種田山頭火の俳句
うどん供えて母よ私もいただきまする 山頭火
山頭火は漂白の俳人として全国を歩きつつ俳句を詠みました。幼いときに、お母さんを亡くしましたので、ずいぶん長い間、寂しく悲しい気持ちだったことでしょう。そのいいようのない寂しさが俳句の原点であったかもしれません。長い旅に出るときには必ずお母さんのお位牌を布に包んで、背負って歩いたそうです。この句はお母さんの四十七回忌に詠んだものです。40数年という長い間、お母さんを忘れたことは一度もなかったに違いありません。お位牌にうどんを供え、「一緒にいただきましょう、お母さん」とそこにいらっしゃるかのように、‘如在’いますがごとくお参りするのです。 (お地蔵さん文)
うどん供えて母よ私もいただきまする 山頭火
山頭火は漂白の俳人として全国を歩きつつ俳句を詠みました。幼いときに、お母さんを亡くしましたので、ずいぶん長い間、寂しく悲しい気持ちだったことでしょう。そのいいようのない寂しさが俳句の原点であったかもしれません。長い旅に出るときには必ずお母さんのお位牌を布に包んで、背負って歩いたそうです。この句はお母さんの四十七回忌に詠んだものです。40数年という長い間、お母さんを忘れたことは一度もなかったに違いありません。お位牌にうどんを供え、「一緒にいただきましょう、お母さん」とそこにいらっしゃるかのように、‘如在’いますがごとくお参りするのです。 (お地蔵さん文)