植芝盛平翁 伝書
六十三、 胸
受 左手で相手の胸元を取る
仕 面打ちながら左手で相手の左手掴み左足引いて
右手で胴を抱へて右足相手の前へ進む
左足引いて左で相手の左手掴み右肘関節に掛け左手で
後衿首掴み直し右で腰押す面打つ時右足少し右へよる
六十三、 胸
受 左手で相手の胸元を取る
仕 面打ちながら左手で相手の左手掴み左足引いて
右手で胴を抱へて右足相手の前へ進む
左足引いて左で相手の左手掴み右肘関節に掛け左手で
後衿首掴み直し右で腰押す面打つ時右足少し右へよる
★ティク・ナット・ハン師の般若心経
観世音菩薩は一連の智慧の完成を求めて瞑想している最中に、五蘊(宇宙の構成要素)に焦点を当て、それらが等しく空であることを発見しました。
この入我我入観の瞑想のあとで、彼はすべての苦しみを乗り越えました。(観自在菩薩の言葉)
シャーリプトラよ聞きなさい。
形あるものは空であり、空であるものには形がある。(色不異空 空不異色)
形は空を離れては存在せず、空は形を離れては存在しない。(色即是空 空即是色)
感覚作用も、イメージ作用も、意思作用も、認識作用も同じ真実なのだ。(受想行識)
お聞きシャーリプトラ、すべての現象は空によって特徴づけられている。(諸法是空相)
それらは生まれもしなければ減りもしない。(不生不滅)
汚れてもいなければ、清らかでもない。(不垢不浄)
増えもしなければ減りもしない。(不増不減)
だから、空の中には物質も、感覚作用も、イメージ作用も、意思作用も、認識作用もない。(色受想行識)
目や耳や鼻や舌や身体や心のような認識器官もなければ、形や音や匂いや味や触感や心の認識対象もない。
目や心によって認識できる認識作用もない。(無眼界 無意識界)
無明(空がわからないこと)により老人となることや死ぬことがあるように思えるが、そのようなものはない。
分離してバラバラに存在するものもなければ、それらが尽きることもない。
苦しみもなければ、迷いの存在は苦しみであるということもなく、欲望の尽きないことが苦しみを生み出していると言うこともなく、欲望のなくなった状態が苦しみを滅する真理であると言うことでもない。(無苦集滅道)
苦しみのなくなった状態(涅槃)に到達すると言う悟りさえない。
苦しみのなくなった状態の悟り(涅槃)を得る、ということがないのだから、菩薩(覚りを得ようとする修行者)は智慧の完成に支えられ、彼らの心に障害となるものはない。
障害物がないのだから彼らは恐怖に打ち勝ち、苦しみの幻想から永遠に自由になり、智慧の完成を覚った。
すべての過去、現在、未来の菩薩たちよ智慧の完成をありがとう。
満ち足りた、公正な、この普遍的な覚りを。
だから人は智慧の完成を偉大な、最高の、並ぶもののない、すべての苦しみを取り除く、清廉な宣言(マントラ)であると知るべきである。
般若心経の宣言(マントラ)はこのようである。
“Gate gate paragate parasamgate bodhi svaha”
『 行ける者よ 行ける者よ 彼岸に行ける者よ 彼岸に完全に行ける者よ 覚りに 栄えあれ 』
資料:ティク・ナット・ハン著「ティク・ナット ・ハンの般若心経」
観世音菩薩は一連の智慧の完成を求めて瞑想している最中に、五蘊(宇宙の構成要素)に焦点を当て、それらが等しく空であることを発見しました。
この入我我入観の瞑想のあとで、彼はすべての苦しみを乗り越えました。(観自在菩薩の言葉)
シャーリプトラよ聞きなさい。
形あるものは空であり、空であるものには形がある。(色不異空 空不異色)
形は空を離れては存在せず、空は形を離れては存在しない。(色即是空 空即是色)
感覚作用も、イメージ作用も、意思作用も、認識作用も同じ真実なのだ。(受想行識)
お聞きシャーリプトラ、すべての現象は空によって特徴づけられている。(諸法是空相)
それらは生まれもしなければ減りもしない。(不生不滅)
汚れてもいなければ、清らかでもない。(不垢不浄)
増えもしなければ減りもしない。(不増不減)
だから、空の中には物質も、感覚作用も、イメージ作用も、意思作用も、認識作用もない。(色受想行識)
目や耳や鼻や舌や身体や心のような認識器官もなければ、形や音や匂いや味や触感や心の認識対象もない。
目や心によって認識できる認識作用もない。(無眼界 無意識界)
無明(空がわからないこと)により老人となることや死ぬことがあるように思えるが、そのようなものはない。
分離してバラバラに存在するものもなければ、それらが尽きることもない。
苦しみもなければ、迷いの存在は苦しみであるということもなく、欲望の尽きないことが苦しみを生み出していると言うこともなく、欲望のなくなった状態が苦しみを滅する真理であると言うことでもない。(無苦集滅道)
苦しみのなくなった状態(涅槃)に到達すると言う悟りさえない。
苦しみのなくなった状態の悟り(涅槃)を得る、ということがないのだから、菩薩(覚りを得ようとする修行者)は智慧の完成に支えられ、彼らの心に障害となるものはない。
障害物がないのだから彼らは恐怖に打ち勝ち、苦しみの幻想から永遠に自由になり、智慧の完成を覚った。
すべての過去、現在、未来の菩薩たちよ智慧の完成をありがとう。
満ち足りた、公正な、この普遍的な覚りを。
だから人は智慧の完成を偉大な、最高の、並ぶもののない、すべての苦しみを取り除く、清廉な宣言(マントラ)であると知るべきである。
般若心経の宣言(マントラ)はこのようである。
“Gate gate paragate parasamgate bodhi svaha”
『 行ける者よ 行ける者よ 彼岸に行ける者よ 彼岸に完全に行ける者よ 覚りに 栄えあれ 』
資料:ティク・ナット・ハン著「ティク・ナット ・ハンの般若心経」