武産通信

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日本國の一番長い日

2015年08月13日 | Weblog
 日本國の一番長い日

 【檄文】 古賀秀正
 国体護持の為 本十五日早暁を期して蹶起せる吾等将兵は全軍将兵並国民各位に告ぐ
 吾等は敵の謀略に対し 天皇陛下を奉じて国体を護持せんとす 成敗利鈍は吾等の関するところにあらず 唯々純忠の大義に生きんのみ
 皇軍将兵並国民各位 願くは吾等蹶起の本義を銘心せられ 君側の奸を除き 謀略を破摧し 最後の一人迄国体を守護せられんことを

 昭和20年8月14日午前11時、宮中において大東亜戦争の終結について御聖断が下され、一億国民は断腸の思いで天を仰ぎ、地に伏して慟哭し、心も空ろに為す術を知らなかった。かかる衷心虚脱の最中に、真に国体護持を願う憂国の士によって、14日夜半から15日早暁にかけて近衛師団の蹶起が企図された。陸軍省軍務局課員・畑中健二少佐が発議し、同局課員・椎崎二郎中佐、近衛第一師団参謀・古賀秀正少佐、陸軍航空仕官学校区隊長・上原重太郎大尉等がこれに参画し、大事去るや前記四士はそれぞれ従容として自決した。これが宮城事件である。
 その意図した所は、天皇陛下のご安泰と永遠なるべき天皇制を護持するため、所謂「バーンズ回答」の修正を連合国に要求すべく陛下に直訴するにあった。一身を犠牲にして国難に体当りして散華した四士の心情を仰ぎ、茲に孤忠留魂之碑を建て、その精神を後世に伝えたいと念願するものである。 (資料/元陸軍中佐・岩田正孝『孤忠留魂録』)

 宮城事件の真相

 昭和20年4月下旬から終戦まで私は近衛歩兵第二聯隊(近歩二)の第一大隊長として、宮城近辺の警護にあたりました。B29の帝都爆撃はいよいよ激しく、宮城の一部も焼け落ちました。6、7月にはより耐久度の高い陛下の御座所(防空壕)を吹上御宛内に作っていました。九段の近歩一、二聯隊の営庭に何十台のミキサーを並べ、コンクリートを練ってナベトロ(運搬用トロッコ)で運ぶのです。梅雨期と重なりましたんで、かなりの重労働となりました。8月に入り、広島、長崎に原爆が投下され、ソ連が参戦するに至り、ポツダム宣言をそのまま受託すべしといった外務省の意見と、天皇制護持が確認されるまで戦争継続すべしといった陸軍筋の意見がぶつかっていました。張り詰めた空気が私達近衛の将兵たちの間にも流れていました。

 8月11日の夕方、私は古賀秀正師団参謀(東条首相の娘婿)から師団司令部へ呼び出しを受け、こう命じられました。『全てが終わりだ。貴様は守衛隊司令官として、部下を率いて宮城に入れ』」古賀司令官の顔は青白く、口調が投げやりでどこか憤慨しているようでした。そして静かにこう言われました。『遠くは大津事件、あるいは五・一五事件、二・二六事件において青年、特に青年将校の血気の勇は、日本の国に非常な損害を与えた。だからこれから起こるであろう問題は、何であるかわからないが、十分考慮して守備隊司令官の任務を遂行せよ。もし軽率妄動する者があれば断固として斬れ』。

 私達は12、13日と無事に守衛勤務を終え、近歩一聯隊と交代しましたが14日の午後から再び同勤務に戻りました。しかも芳賀豊次郎聯隊長以下、一個聯隊の増派です。不測の事態への対応強化が目的で、師団長は陸士の同期であった。芳賀聯隊長を信頼したこの任務を託したようです。そして午後3時ごろ、古賀、畑中賢二、楢崎二郎の三参謀が守衛隊司令部を訪ね、自ら『大本営より近衛師団への派遣参謀だ』と紹介の上、部隊側の芳賀聯隊長、佐藤芳弘第三大隊長、そして私を交えての三対三の会談が行われました。参謀側はこう告げました。『陸軍大臣の決心は変わらず、国家護持の保障を取り付けるまではポツダム宣言を受託せず戦争を継続する。ただ大臣も近衛師団長もこの件についてスッキリしたものが出てこない。もう少し説得する。君側の奸(和平派)を排除することも続けていく』。参謀は部隊にとって上官であり、上官の命令は絶対です。しかし、彼らと違い、我々には生死を共にしる部下がいてそれぞれの思いは千々に乱れています。だからこそ命令以下整然とした行動を取らなければ軍隊は成り立ちません。この時点で初めて決起計画の一端に触れた私たちは、参謀側にこう伝えました。『我々には部下がいる。近衛師団は近衛兵としての名誉歴史伝統がある。従って近衛師団命令のもとに整斉とした行動をしたい』。しかし、その日の9時に開かれた二度目の会談で参謀側は『大臣に対しても我々の説得は後一歩のところまで来ている』と言ったものの『我が師団長が命令を出さなかった場合は』と尋ねると『斬ってでもそうする』と答えました。統帥系統のある師団長を「斬る」とは何事だとの、疑念が頭をよぎりました。これ以降、参謀側の積極姿勢に比べ、部隊側は慎重に事態を見極めようといった消極的な姿勢を強くしていったようです。

 そして15日午前2時、師団長命令が出されました。宮城と外部の通信を遮断し、玉音盤を奮取すべく宮内省の捜索を行えというものです。芳賀聯隊長はこの命令を不信に思い、『師団長がよくこの様な命令を出しましたね』と参謀側に問いかけましたが、古賀参謀は『師団長はしぶしぶ承諾しました』と答えています。いずれにしても、命令に従うしかありません。私は賢所に待機したいましたが、ある隊は夜を徹して宮内省を捜索しました。ある隊は諸門を封鎖し、情報放送関係者を監禁しました。しかし、探せど探せど玉音盤は見つからず、午前5時までに決起計画の要であるはずの阿南惟幾陸軍大臣が自刃にかかっていること、同じく決起の一躍を担うはずの田中静壱東部軍司令官が、営庭の近歩一聯隊を抑えていることが情報として伝わってきました。この時点で私は、天の時は過ぎたのだと覚悟するに至りました。   

 その頃、東部軍司令官から合同の要請が入りました。実は田中司令官からの要請はこれで二度目でした。さてどうするか、参謀側にはとことん籠城するという意向もあったようですが、私達はそれを振りきり乾門に出向きました。そして田中司令官から、森師団長が殺害され偽命令が出されたことを聞き愕然としたのです。佐藤大隊長と私は抱き合い涙を流しました。近衛師団の指揮権は田中司令官に移り、かくしてこの騒動は収束しました。時はすでに15日の朝を迎えていました。この様に終戦をめぐってのクーデーターは参謀主導で動き出し、近歩二聯隊はその計画に巻き込まれる形になりました。確かに実行部隊として宮内省に入ったり、要人を監禁したことは事実です。しかしその一事をもって、終戦時の近歩二聯隊を二・二六や五・一五事件の系譜に連なる「反乱軍」と位置づけすることは、必ずしも適切でないように思います。あくまでも国体護持という参謀達の思いは、極めて純粋ものだったと思いますが、芳賀聯隊長、佐藤大隊長、そして私の3人が、あの時籠城することを選択していたら、終戦は長引きソ連の北海道侵攻を許していたかもしれない。そう思うと、今も万感の思いが胸にこみ上げてくるのです。 (資料/元守衛隊司令官・北畠暢男講演録)

 阿南惟幾陸軍大臣は、陸相官邸で、介錯を拒み、数時間かかっての自刃となった。
 森赳師団長は、師団長室で、畑中参謀が発砲、更に上原大尉が日本刀で斬りつけて殺害された。

 椎崎二郎参謀と畑中健二参謀は、宮城の正門と坂下門との間の松林で、二人で拳銃で、相擁して自決する。
 古賀秀正参謀は、師団長室で、日本刀で腹を掻き切り、返す刀で頚動脈を切って自決する。
 上原重太郎大尉は、陸軍士官学校裏の航空神社で割腹自決する。

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京都迎賓館の庭

2015年08月04日 | Weblog
 京都迎賓館が開館10周年を記念する一般参観に当選した。

 京都迎賓館は敷地面積2万平方㍍、建築面積8千平方㍍。地上1階、地下1階建て、延べ1万6千平方㍍の鉄筋コンクリート造りで、日本の空間を感じられる和風の意匠に配慮し、木を活用して「現代和風」をコンセプトに設計された。中央に池を配置し、その周りに建物がある構成である。

 庭と建物を一体とした「庭屋一如」の作庭は佐野藤右衛門。賓客が建物の中からも庭園の景色が楽しめるようになっている。新聞記事によると、佐野藤右衛門さんは「庭は、用と景を考えなあかん」と話す。京都盆地の特徴で、土地には2㍍の高低差があった。池を中心に建物が配置され、どの部屋も庭に面している。必要な導線を考慮しながら、部屋から眺める景色を計算、もちろん季節による植物の変化も織り込まれている。「景」を作りながら「用」を成している例は、随所にある。例えば、西向きの部屋の外に、落葉樹を配している。夏の強い西日は緑に遮られ、冬の暖かな陽光は木々の間から差し込む。畳や建物の焼けを防ぐことにもなる。池の真ん中には、松を配した亀島。台杉の庭は、杉苔、飛び石、灯籠で構成されている。山道を登ると、傾斜地に、秋の深まりが楽しみになるような紅葉谷が広がっている。苔むした土橋の向こうにわずかにのぞく滝。どこを切り取っても絵になる。庭には、加茂七石がすべて使われているという。その中の一つ真黒石は、京都迎賓館の掘削工事で出てきた。州浜の石も地中から出てきたものを使っている。

 海外からの賓客に日本の文化「舟遊び」を楽しんでもらうために、舟泊まりがあり、和舟が用意されている。池に舟を漕ぎ出すと景色が変わり、池は静かな海を思わせるよう。錦鯉が悠々と泳いでいる。池には廊橋が架かり、水音が静かに響く。向月台の横に設けられたもやい石。目を閉じると、平安時代の舟遊びが想像できそうである。

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