武産通信

東山三十六峰 月を賞で 雪を楽しみ 花に酔う

武産合気とは

2021年01月31日 | Weblog
                                植芝盛平翁「水火の結び之図」
 
 武産合気とは
 
 これは合気道が合気武術とよばれていた時代の植芝盛平先生の記述である。水月という美しいことばが印象的だ。
 剣道でいえば水月の理、即ち敵との距離を水の位とし、それを彼我の体的霊的の距離をおいて相対す。敵火をもって攻め来らば、水をもって防ぐ。敵を打ち込ますべく誘った時は、水が始終自分の肉身を囲んで水とともに動く。敵が打って来れば水とともに開くから、打ち込まれない。(植芝守高『武道練習』)
 道場の真ん中に立たれた白髭の植芝盛平先生の杖が頭上で大きく螺旋を描く。右旋回に昇る天輪の気と、左旋回に降りる降輪の気は、淡路之穂之狭別の行である。立ち昇る火は縦、水は水平にして横、縦と横はむすばれて十となる水火の結びである。植芝先生は「天の浮橋に立たされて」と言われた。自ら天の浮橋に立つのではなく、神の導きによって立たされる惟神の道である。
 合気道は天の浮橋に立たされてということである。天の浮橋とは、ものの起こる兆しをいう。「ア」は自ら、「メ」は巡る、「ウ」は水にして縦をなし、「ハ」は橋にして火であり横である。天の浮橋は水火結んで巡るということ。火は水を動かし、水は火によって動かさる。水も火も一つのものである。螺旋状に巡る。気をもって絡むのである。それは、息によるものであり、この息が合気である。(植芝盛平先生口述)

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無息の呼吸法

2021年01月24日 | Weblog
 究極の呼吸法といわれる「無息の呼吸法」とは
 
 無息の呼吸法は、呼吸をしながら呼吸を超越する呼吸法である。吐く息、吸う息は音を立てずに静かに、静かに呼吸にまかせる。
 それは、鼻の頭に羽毛がひっついて飛ぶか飛ばないかというほどの呼吸である。
 まず身体の力を抜き、左右揺振して、背筋を伸ばして座る。正座でも椅子に座ってもよい。
 肩の力を抜き、目を軽く瞑り、顔の力を抜く。
 からだと呼吸に意識を向け、その様子を感じるようにする。この時、呼吸の長さをコントロールしてはいけない。
 呼吸を只々感じるのである。
 やがて様々な雑念が浮かんでくることもあるが、浮かんできた雑念は考えないようにする。
 そして、再びいまの瞬間のからだや呼吸の感覚に意識を戻す。
 吐く息、吸う息の感じを只々感じつづけて見守る。
 からだ全体で呼吸をイメージして、いまの瞬間を見守る。
 最後は、まぶたの裏に注意を向けてそっと目を開く。
 無息の呼吸法は、自分自身のからだを忘れ、呼吸だけの世界に入り、天地と一つに同化して、天地そのものが呼吸しているような気持ちとなるのである。 

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