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武産通信

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佛教伝

2018年10月28日 | Weblog
                                              宮本武蔵『正面達磨図』

 今から2500年前、ガンジス川の一支流の畔で、一人の男が6年間の苦闘を経て「私はついに人間存在の苦しみから解放された」、「生まれ老い死んでゆく輪廻の夢から醒めた」と自覚した。ブッダ(目覚めた人の意)の誕生である。男は新たな教えをもって、かつて自分を見捨てて去っていった5人の修行仲間に立ち向かう。5人はブッダの教えを受け入れ、その後の人生をブッダと共に歩み出す。ここに「教えを説く人」、「その教え」、「その教えを聞く人々の集まり」という佛教の枠組みが誕生した。
 ブッダの時代、インドでは様々な思想家が現われて、伝統に縛られない新たな教えを説いた。彼等の多くは沢山の弟子を抱えて、その教えはインド中に広まって行った。しかし、新たな思想の中で、佛教だけがインドを離れて生き延びて行ったのである。何故、佛教だけが。その答えはブッダの思想自体の中にある。
 最初に真理を悟ったブッダと、それを追体験した佛教者たち、さらに真理が具現化された偉大なブッダたちが、そこに生きる人々にふさわしい苦悩からの脱却と救済を説き、一方でその教えを信じ、その道を歩んだ人々の総体が佛教である。
 ブッダはいかなる著作も残していない。そもそもブッダの生きた古代インドでは、思想家が著作を残す習慣自体がなかった。ブッダは数人の弟子だけを伴い、遍歴の修行者として80年の生涯を閉じた。
 ブッダの死後、彼の事績と教えは弟子たちによって経典にまとめられ、暗唱による伝承が始まる。やがて時代が経つと経典は文字化され、紀元前後には写本による伝承も始まる。さらに佛教の広がりとともに経典はシルクロードを経て中国、そして我が国に伝えられたのである。(松田信和『佛教入門講座』)

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