武産通信

東山三十六峰 月を賞で 雪を楽しみ 花に酔う

酒井雄哉大阿闍梨

2013年11月26日 | Weblog
 去る9月23日に酒井雄哉大阿闍梨がお亡くなりになりました。享年88歳。
 2度目の千日回峰行を達成されたころに、酒井大阿闍梨の間近にお話を伺わせていただいたことが思い出されます。
 出棺のときの挨拶で、藤波源信師の「お亡くなりになった日に、庭に出ると季節はずれの多数の白い蝶々が飛んでいた。飛ぶように山を歩いた酒井大阿闍梨の姿に思えた」とのお言葉が心に残ります。 合掌

 幻冬舎ルネッサンス新書の生前最後のインタビューを完全収録『この世に命を授かりもうして』を読みました。
 病と向き合い、命をかけて伝えたかった「生きること」の本当の意味。厳格な行道、千日回峰行を二度満行、「稀代の行者」が遺した最後のメッセージ。 考え方ひとつで、「死」も「苦」も、「楽」になる。千日回峰行を二度満行後も、国内外各地を歩き続けた酒井大阿闍梨が語る、足の裏で地面を踏みしめて「歩く」ことの大切さ。通りすぎてしまう大事な「縁」を結ぶための実践力。 誰もが何かの役割を持って授かった「命」の尊さ。「稀代の行者」が自らの命と向き合って体得した人生の知恵を、生前最後のインタビューで語り尽くした。 (幻冬舎ルネッサンス新書)

<目次>
一、ガンを知る、おのれの不始末を知る 
二、病と向き合う
三、死は怖いものではない
四、結縁
五、歩くことが生きること
六、「苦」を「楽」にする知恵
七、いま、この瞬間を大切に
八、夢と現実の狭間で見たもの
九、愛別離苦
十、この世に命を授かりもうして

【著者紹介】
 1926年大阪府生まれ。太平洋戦争時、予科練へ志願し、特攻隊基地・鹿屋にて終戦。戦後、職を転々とするがうまくいかず、比叡山へ上がり、40歳で得度。約7年かけて4万キロを歩く荒行「千日回峰行」を80年、87年の二度満行。その後も国内外各地への巡礼を行った。98年より比叡山飯室谷不動堂長寿院住職。2013年9月23日死去。著書に『一日一生』(朝日新書)、『ムダなことなどひとつもない』(PHP研究所)ほか多数。

写真:酒井雄哉大阿闍梨

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合気道技法(128)

2013年11月19日 | Weblog
 植芝盛平翁 伝書
 
座取

第三十条  対坐ノ敵ノ右手甲ヲ取リ左ニ返シ水月ヲ突キ両手ニテ絞込ム事

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墨書土器に最古の平仮名

2013年11月12日 | Weblog
 京都市埋蔵文化財研究所主催 『平安貴族の暮らしと文学』講演会

 第一部 貴族邸宅と墨書土器         京都産業大学准教授  吉野秋二   
 第二部 墨書土器から見た平安時代の仮名文学  富山大学教授  鈴木景二
  
 平安時代前期の右大臣・藤原良相(ふじわらのよしみ)の「西三条第」邸宅跡(京都市中京区西ノ京星池町)で出土した9世紀後半の土器片約20点に「かつらきへ」(葛城へ)など和歌とみられる平仮名が書かれているのが見つかった。同時期の平仮名は宮城県の多賀城跡などでもわずかに出土しており、最古級の平仮名発見となる。

 京都産業大学の吉野秋二准教授によると、文化の中心地だった平安京でのまとまった出土で、「平仮名の確立は10世紀と言われていたが、約50年さかのぼることが分かった」(新聞報道)としている。9世紀の仮名の基準となる資料群による平仮名の成立過程の実態的分析により、『土佐日記』『古今和歌集』以前に一定度成熟した仮名文化が存在したことが実証された。仮名は、1音に1字を当てる万葉仮名、万葉仮名の草書体を用いた草仮名(そうがな)、そして平仮名の順に移行するとされる。

 邸宅跡の池から皿などの土器の破片約90点が出土。うち20点に墨で「かつらきへ」(葛城へ)「きなくひとにくしとお口はれえす」(口は欠字、来泣く人憎しと思われえす)などと記されていた。
 神楽歌に「葛城へ 渡る久米路の 継橋の 心も知らず いざ帰りなむ」とあり、その一部とすれば、邸宅で神楽が行われ、その際に記された可能性がある。また同時に見つかった木簡には「む」を表す草仮名に近い平仮名があった。
 一方、9世紀前半の井戸跡で、檜扇(ひおうぎ)と木簡が発掘された。それぞれ万葉仮名で手習い歌の「難波津」を示す「奈尓波」などと記されていた。同じ遺跡で万葉仮名から平仮名までが見つかったことで仮名の変遷が分かるという。

 右大臣を務めた藤原良相は漢文や仏教に造詣が深く、自らの邸宅を「百花亭」と称し一流の文化人が集まった。天皇を招いて桜の宴が開催されたこともある。邸宅跡からは庭池の遺構が発掘され、池の周囲からはS字形の敷石が出土し、曲水の宴を開いていたことが窺い知れる。
 今回発掘された土器片は9世紀後半のものだが、これ以前は、正式な平仮名の文書は905年の紀貫之『古今和歌集』が最初だとされていた。『古今和歌集』は平仮名で書かれていたとみられるが、自筆本は未発見である。また紀貫之の『土佐日記』は自筆本の模本があり、10世紀前半の平仮名をしのぶことができる。それゆえ今回の発見は画期的なものになった。

 2008年には富山県射水市一条の溝から9世紀後半のものといわれる草仮名が書かれた酒杯が発見された。地方に任官した官人たちが曲水の宴などで和歌を詠む際に筆慣らしの意味で酒杯に墨で書いたものらしい。

 富山大学の鈴木景二教授によると、当該期の仮名の資料は僅かしか知られておらず、それらの資料も都以外の地域で作成された文書や出土品が多く、都の資料に恵まれていなかった。今回の出土品は、その空白の時期と空間を埋める稀有な資料群である。9世紀後半の最高級貴族である藤原良相邸であることが確実な遺跡から出土したことにより、歴史資料(文献史料)、遺構・共伴遺物などと有機的に関連づけることが可能な史料群、即ち、書かれた時期やこれを生み出した人々の階層、生み出された文化的環境、儀礼などを立体的に把握することができる。
 漢文に比べ文字数の多い万葉仮名文の筆記頻度の高まりが、書記の省力化、省画化、即ち、漢字草書体使用を強く推し進め、その結果、草仮名から平仮名へ移行した。その後さらに、書としての美意識に裏打ちされながら、音のみを表す平易な記号化が進み、完成された平仮名へと昇華したという過程を推定できる。

 墨書土器の平仮名解読には京都大学大学院人間環境学研究科の西山良平教授、筑波大学人間総合科学研究科の森岡隆教授、京都産業大学文学部の吉野秋二准教授、富山大学人文学部の鈴木景二教授など、6名の専門委員があたったという。

写真:墨書土器(京都市考古資料館蔵)

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続 井上方軒と江上茂

2013年11月05日 | Weblog
 合気道草創期に活躍した井上方軒(鑑昭)先生。祖父から教えられた教育の実体、平法学を究めるため、大本の出口王仁三郎聖師に弟子入りした井上方軒は、平法学と大本の思想をもとに親和学を確立。それを武道の世界に具現化し、親和体道を創始する。のち親英体道と称する。

 井上方軒先生口述『平法学』

―― 昭和十五年の大寒での修業において井上方軒師が紫雲たなびく紫気の光に包まれた時のことを回想されて

 紫雲の気の中で、虫けらや山川草木あらゆるものがことごとく生命と使命を与えられて生息している実在を観て、万物の霊長たる人間には、大きな使命が与えられている(と感得した)。人間の産まれてくるその瞬間、天にとどけと産声を発して生れてくる。その産声は「ウ・ギ・ア」…ウ・産まれる、ギ、アでつらぬく、すなわち魂の実在において産まれてきているのであります。魂がそのまま、大地から天に通じ、天から大地に返ってくる。すなわち「ウ・ギ・ア」の産声は大地から天、天から大地へと「一」の線を引いて生まれてくるのである。すなわち、人間の実体は「一」の実体である。我々はこの「一」の実体から進んできているのである。

 つねにものごとは一から始まる。一の実体である。一に始まって一に終わる。宇宙にゼロはない。存在にゼロはない。ゼロはどこまでもゼロ、無の世界。(大事なのは)つねに一の実在だ。 

―― 平法学とは

 私は武道というよりも平法学のほうに進んでおります。平法学とはよく武道と今日では同じようにしておられますが、武道は武道、平法学は平法学であります。平法とは何ぞや…。昔からよく言ってます通りに、士農工商に曉通して、あらゆる面に指導していく、教育していく、これが平法の実体であります。

 私は幼い時分から道に勤しんできたのでありますけれども、具現の実体とは何であるか、ということがどうしても解らない。観念的には解るんであるけれども、表現体から具現体にもっていく動きとは何ぞや…。山に、野に、海に伏して勉強した。それでも解らない。……それで、十九歳の春、大本の出口王仁三郎先生を尋ねていった。何故尋ねていったかと言うと、「三千世界一度に開く梅の花」、これに私は参った。大名文だ。常に平法学を勉強していく自分といたしましては「三千世界一度に開く梅の花」、梅の五弁の花の中にすべてを納めている。これは素晴らしい。平法学で言えば、これは本当の極意である。

 私は自分が平法学の家の子供であるとか、そういうこと、一つも言わずに教えを請うた。『具現の実体ということはなあ、自分で動かなければ解らないんだ。いくら観念的にどんなことしてもこれは解らないのだ』。ちょうど薪がずっと並んでおったのです。で、マサカリを持ってきて、ご自身でマサカリで薪を割ってくれた。ほほ――、今までの丸い薪が、割ったらいくつにもそれが千差万別に割れていく。『うん、表現から具現にいく道というものは、動かなければいけないんだ』。そこで初めて自分で自分自身を知った。具現の実体というものは、動かなければいけないんだ…。表現から具現していくということがようやく自分で目覚めた。

―― 水火(いき)の世界、入身の世界

 持たれたらこうする、こうしたらこうするじゃなくして、その以前に、すでにそれ以前に流心の実体において相手の気と自分の気と親和の実体にもっていく。これがひとつの武である。あらゆる面において、親和力を発揮することができる。これを平法学では、親和力の力徳と称している。その力徳において千差万別に表現していける。そのあり方は、畳の上で、また野外でその動作を描きもっていく。その描き切る状態、それは体で描くか、心身一如にして気によって動くか……そこに表現体が具現する。

 宇宙の実体は、生きとし生けるもんが全部息してる。息をしている。呼吸と言うよりも水火。生命の実在は水火(いき)に於いて、流れている。一人の水火の流れじゃなくして、地球に生成化育しているものの森羅万象ことごとく生きとし生けるものが、この水火をしているこの状態、この流れていく状態。呼吸じゃなくて水火の流れ。水火の流れがあってこそ、呼吸は抜くこともでてくる。本当に水火の流れの実在、つまり水火の力徳の流れの実在をやっていきたいと思います。

―― 受身

 武器無くして武器有り。武器有って武器無し。それが大和魂の実体である。剣が無ければできない、剣が有るからできる、ではいけない。全身これ、我々の人体これ宇宙の親和力によって生成化育されている。生成化育されているんであるが故に、よってこれが全身これ、光である。つるぎと言うよりも光である。例えて言えばこうくる。持たれる。これでは駄目ですね。これだから切れる。切れるんじゃなくて流れて行くんだね。打って来る。打って来るからすっと入って行ける。流れて行くから前に行くんだ。ここに大きな一つの、岩があるとすると、水が流れて行ったらこの岩にぶつかった。ぶつかる時に、パッと水がこう散るな。その状態を表している。そういう様にして総べての宇宙の流れる実在を、一つ一つ生成化育していくのが我々のあり方である。だいたい後ろに流すということはないんです。

写真:井上方軒先生/合気ニュース128号 2001年春号より転載させていただきました。

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