西 勝造先生創刊の月刊誌『西医学』
西 勝造先生を偲ぶ(2) 合気道本部師範部長 九段 藤平光一
昭和28年の2月、いよいよハワイ西会からの招聘が実現して、単身渡布した。ホノルル埠頭には、大勢の西会の方々が迎えに来てくださった。ハワイ西会会長太田馨氏、副会長栗崎一寿博士等の方々が船上まで迎えに来られ、船の上から出迎えの方々に手を振るように言われたので、私はどの方々が西会の方かわからず、ただ漠然と手を振ったら、桟橋にいた人々が一斉に歓声をあげ、手を上げられたので、あまりに大勢の方々のお迎えに、びっくりするやら、感激するやらで、私の責任の重大なことを更に自分自身に言い聞かせたものであった。船をおりて山城ホテルに落ちつくと、西会の幹部の方々がみな集まってこられた。会長の太田さんは、「ハワイの人は、みな遠慮がないから、人の前でも平気で悪口を言うが、蔭ではあまり言わない。何でも遠慮のない質問をしますから、気にかけないでください」と言われた。私も、「ハワイの人の気質は、船の中でも、ハワイの人々から、よく聞いてきまして、よくわかっています。遠慮なくどうぞ。」と返事をしました。すると一人が「先生はずいぶん若いんですね。8段というから50位かと思っていた。」西会の方々は、ご年配の方々ですから、32歳の私が若いと言われても当然である。次の一人は、「先生は小さいんですね。」これも6尺位の人は、ざらにいるハワイでは、私が小さいと言われても文句を言えない。3人目の人は、「本当にできるんですか。」どうも、これが質問のねらいだったらしい。あとで聞いた話ですと、出迎えのとき船上の私が、ハワイ柔道有段者会長であった、栗崎博士よりも小さいので、合気道なんて本当にやれるんかと心配になったのが本音であったそうである。西先生がハワイへ行かれるたびに、植芝先生の話をされると、大の男が何人かかっても、ぽんぽんぽんといった調子で景気よく話をされたそうである。ハワイの人たちは、西先生のおっしゃることであるから、嘘ではないとは思うが、講談ではあるまいし今の時世にそんなことが果たしてできるのであろうか。プロレスの世界選手権保持者でも、一人の相手に勝つのに苦心惨憺する。80近いご老齢で、そんなことはできる筈はないとも考え、半信半疑でいたそうである。そこへ、弟子が差し向けられたのであるから、さだめし、6尺豊かの髭の生えた偉丈夫であろうと知らず知らずのうちに想像していたところ、5尺4、5寸の弱輩が、ニコニコしているのであるから、たよりなく、心配になったのも無理はなかったであろう。私も苦笑いをしながら、「ここで、できるとか、できないとか言っても、空文句にすぎない。その返事は別の機会にしたいから、いつでもよいから、ハワイの強いといわれる人々を10人くらい集まってもらってください。」と返事をしました。
さて、その日になると、柔道、剣道、プロレス等、7、8人集まってくださったので、そこに実際に行って、返事の代わりをした。西会の方々も、初めて安心されて、「西先生のおっしゃったことは、やはり本当であった。」と非常に喜ばれた。そのとき集まってくださった柔道、剣道の高段者方が、今ハワイ合気会の最高の指導者になっているわけである。 (『西医学』昭和35年11月号)
西 勝造先生を偲ぶ(2) 合気道本部師範部長 九段 藤平光一
昭和28年の2月、いよいよハワイ西会からの招聘が実現して、単身渡布した。ホノルル埠頭には、大勢の西会の方々が迎えに来てくださった。ハワイ西会会長太田馨氏、副会長栗崎一寿博士等の方々が船上まで迎えに来られ、船の上から出迎えの方々に手を振るように言われたので、私はどの方々が西会の方かわからず、ただ漠然と手を振ったら、桟橋にいた人々が一斉に歓声をあげ、手を上げられたので、あまりに大勢の方々のお迎えに、びっくりするやら、感激するやらで、私の責任の重大なことを更に自分自身に言い聞かせたものであった。船をおりて山城ホテルに落ちつくと、西会の幹部の方々がみな集まってこられた。会長の太田さんは、「ハワイの人は、みな遠慮がないから、人の前でも平気で悪口を言うが、蔭ではあまり言わない。何でも遠慮のない質問をしますから、気にかけないでください」と言われた。私も、「ハワイの人の気質は、船の中でも、ハワイの人々から、よく聞いてきまして、よくわかっています。遠慮なくどうぞ。」と返事をしました。すると一人が「先生はずいぶん若いんですね。8段というから50位かと思っていた。」西会の方々は、ご年配の方々ですから、32歳の私が若いと言われても当然である。次の一人は、「先生は小さいんですね。」これも6尺位の人は、ざらにいるハワイでは、私が小さいと言われても文句を言えない。3人目の人は、「本当にできるんですか。」どうも、これが質問のねらいだったらしい。あとで聞いた話ですと、出迎えのとき船上の私が、ハワイ柔道有段者会長であった、栗崎博士よりも小さいので、合気道なんて本当にやれるんかと心配になったのが本音であったそうである。西先生がハワイへ行かれるたびに、植芝先生の話をされると、大の男が何人かかっても、ぽんぽんぽんといった調子で景気よく話をされたそうである。ハワイの人たちは、西先生のおっしゃることであるから、嘘ではないとは思うが、講談ではあるまいし今の時世にそんなことが果たしてできるのであろうか。プロレスの世界選手権保持者でも、一人の相手に勝つのに苦心惨憺する。80近いご老齢で、そんなことはできる筈はないとも考え、半信半疑でいたそうである。そこへ、弟子が差し向けられたのであるから、さだめし、6尺豊かの髭の生えた偉丈夫であろうと知らず知らずのうちに想像していたところ、5尺4、5寸の弱輩が、ニコニコしているのであるから、たよりなく、心配になったのも無理はなかったであろう。私も苦笑いをしながら、「ここで、できるとか、できないとか言っても、空文句にすぎない。その返事は別の機会にしたいから、いつでもよいから、ハワイの強いといわれる人々を10人くらい集まってもらってください。」と返事をしました。
さて、その日になると、柔道、剣道、プロレス等、7、8人集まってくださったので、そこに実際に行って、返事の代わりをした。西会の方々も、初めて安心されて、「西先生のおっしゃったことは、やはり本当であった。」と非常に喜ばれた。そのとき集まってくださった柔道、剣道の高段者方が、今ハワイ合気会の最高の指導者になっているわけである。 (『西医学』昭和35年11月号)